目白崖線下の道(新井薬師道)を東に向かっています。千登世橋中学前を通り過ぎ、学習院下交差点で明治通りを越えます。明治通りは昭和2年(1927年)に、東京で最初の環状道路(環状5号線)として計画され、昭和7、8年までには、神田川流域、千登世橋区間は開通していました。→ 「段彩陰影図」からも見て取れる、崖線をえぐる谷筋を利用、目白通り下は切通しました。なお、現在通りの東側を並行している都電荒川線ですが、当時は王子電車といい、昭和3年に鬼子母神、面影橋間が開通しています。
- ・ 昭文社の地図ソフト"Super Mapple Digital"で作成、縮尺は1/6000です。青点線が実地調査及び当時の地図、空中写真などで確認できる水路跡で、そのポイントを地図に記入した番号順にウォーク&ウォッチしてみました。(一部推定によっているところもあります。)
- 1. 引き続き学習院下の新井薬師道を東に向かっています。
- 2. 左手前方は千登世橋中学です。キャンパスの北側に後退する→ 崖線下には、昭和30年代まで池がありました。
- 3. 明治通りを越えます。右写真は池袋方向で、千登世橋の奥にはサンシャイン60が見えます。
- 4. 高南小学校前です。左折すると23区内屈指の急坂、→ のぞき坂(胸突坂)です。
- 5. 高南小を過ぎると、左手前方に目白不動のある金乗院が見えてきました。