神田川 「まる歩き」 しちゃいます!!

ー神田川水系、支流はもちろん、旧水路、廃水路、全部 「まる歩き」ー

藤稲荷

2018-07-28 06:03:48 | 落合・目白崖線

 新井薬師道は藤稲荷下に差し掛かります。「藤稲荷と云山上に社あり、喬木生茂れり近き頃鳥居の傍に瀧を設て、垢離場とす、薬王院持」(「新編武蔵風土記稿」) 東山稲荷が正式の名称で、藤(富士)稲荷と通称されました。下掲「図会」はその藤稲荷下の新井薬師道を、今回の用水共々描いています。右隅の鳥居の脇には、「風土記稿」のいう垢離場が描かれ、小さな滝も設けられています。なお、「図会」からはよく分かりませんが、明治末の「郵便地図」などでは、坂の東側を流れ下る小川があり、左岸流に合流していました。

 

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    ・ 「江戸名所図会 / 藤森稲荷社 東山いなりともいふ」  「藤杜稲荷社 同所岡の根に傍てあり。又東山稲荷とも称せり。霊験あらたなりとて頗参詣の徒多し、落合村の薬王院奉祀す」

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    ・ 東山稲荷境内  新井薬師道からのショットで、正面右手に赤い鳥居がチラッと見えています。数年前の写真で、現在はマンションに阻まれ薬師道からは見通せません。 

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    ・ 東山稲荷社殿  第二次大戦末に焼失し、昭和28年(1853年)に現在地に再建されました。「図会」の場所より数十メートル北西寄りです。 

 <落合蛍>  「此地は蛍に名あり、形大にして光りも他に勝れたり、山城の宇治、近江の瀬田にも越て、玉の如く又星の如くに乱れ飛で光景最奇とす、夏月夕涼多し」 これは「江戸名所図会」本文の引用ですが、→ 「江戸名所図会 / 落合蛍」には、「氷川」「田島橋」「上水川」の書き込みがあり、うち「上水川」は神田川のことです。氷川社や田島橋との方角、距離感から見て、藤稲荷下から神田川にかけての風景と思われ、段丘下の道は新井薬師道です。(左上には「永正十三年正月後奈良院御撰何曽(ナソ)  秋の田乃露おもげなるけしきかな 蛍」とありますが、稲の穂の垂れる様子から「穂垂る」、「蛍」という謎かけです。)