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「日本人はなぜキツネにだまされなくなったのか」 内山節

2016-04-15 | 読書

春の里山 2015年4月 広島県庄原市


 

著者の肩書は哲学者。新宿高校卒業後、独学で勉強し、今は東京と群馬県で半分ずつ暮らしながら、大学の教壇に立つ傍ら、田舎では釣りをする生活という。

日本全国、キツネに騙されたという話が残るらしい。たいていはうっかりしていると大事なものを盗られたり、人間に姿を替えたキツネにいたずらされたりというパターン。

それが1965年、昭和40年を境に聞かれなくなるとという。それはなぜか、それを考察したのが本書である。

ざっくり結論を言ってしまえば、産業構造の変化で、人は山や自然に依存した暮らしから、近代化した産業に生活の基盤を移し、山自体も懐の深い原生林、自然林から、二次林、造成林へと変わった結果、人間の方でキツネに騙されることがなくなった。と、私はそう読んだ。

なぜ1965年なんだろう。東京オリンピックの翌年、戦後復興も完成し、日本経済が高度成長期へと突き進み始める年。人の意識も大きく変わったということだろう。

私の祖母は明治生まれで、田舎の学問のない年寄りだったので、たいそう臆病な人でした。自分の狭い経験則の中でだけ生きていると、新しいことに対処できない。対処するのは言葉で考える力が基本。応用力のある知識を溜めておかないと、どうしていいか分からずにお手上げ状態。

曲がりなりにも近代的自我を身に付けた孫娘は、素朴で幼い人に見えました。「タヌキに追わえられて(われて)恐ろしかった夢を見た」とたまに言っていた。四国はキツネがいないので、本書によるとタヌキが化かすそうです。

でも今思えば、キツネやタヌキに騙されるのが、そういうこともあると信じているのが昔の人間は普通だったのでしょう。その時代は、自然に対する畏怖と同時に、自然をうまく利用してたくましく生きていく方法も人々は知っていたのでした。

面白かったのは群馬県の上野村では昭和20年代まで「山上がり」という相互扶助の仕組みがあったそうです。養蚕が主産業の村、生糸相場によっては生活が立ちいかなくなるものも出てくる。

そうするとその一家は村人に「山上がり」を宣言し、文字通り山に上がって生活する。味噌だけはたくさん持ち、山の中で自給自足の生活。他人の山菜、木の実、薪はとってもよく、川で魚も自由に採れる。一家の中で若い男性が都会地に出稼ぎに行ってお金を儲け、借金が返せたらまた再び村の生活に戻る。

とてもうまくできた制度だと思った。みんなが少しずつ、自分の懐のいたまない程度に助ける。そして、何よりも山の中で生きていける技術を誰もが持っていた。

また山入りという制度もあり、歳とって一人で山の中で暮らす。これも自然を友とし、緩やかな死に向かって自然と一体化する。

建築家藤森照信氏の「たんぽぽの綿毛」の中にも似た話があり、友人のおじいさんが山の中で仙人になって時々村へ下りてくる・・・昭和三十年前後の諏訪地方です。

歴史の針は逆には廻せないけど、自然に生き、自然の中で死んだ昔の日本人の姿も悪くないのかなと思った。

そうそう、私の母90歳によると、母の実家近くの山の中にも一人暮らしするおじいさんがいたそうです。なんかいいなあ・・・・

コメント (2)
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