やれやれ、今週は思わぬ用事で忙しかったが、明日くらいからは(というかもう今日だけど)また元の生活に戻れそう。
いろいろと面白い体験もしたのだけど、誰が読んでるか分からないので書けないのが残念。っと持って回った言い方。すみません。
いざとなると、女の方が度胸があって胆力もあると改めて思った。
で本題のカレー皿ですが、ひとつ割れ、ふたつ割れ、今はたった一つに。お客様用にはイギリスのウェッジウッドのショップで買ったアウトレット品(というのが情けない。ウィンザー城遠景のエッチングを染め付けたもの。色むらあり)で間に合わせてたけど、普段はパスタ皿を代用したりしていて、不便ったらありゃしない。
それでデパートなどいろいろ行ったけど、癖の強い食器が多くて、なんでもない器がほとんど壊滅状態と改めて知った。
尾道は食器店が多い。ついでに毛糸屋も多い。家で人をもてなすことがなくなったので食器なんかいらんわなあ。毛糸のセーター編んだりもしないので、毛糸屋もほぼ壊滅。尾道はまだまだ伝統的な暮らしが残っているのだろう。
行かんなあ、話が全然進まん。写真のカレー皿、とりあえず五枚買いました。楽天のポイントがたまっていたので、とりあえず無料。
さるやんごとなきあたりが対馬丸の遺族に会い、護衛艦はどうしていたのかと訊ねたらしい。護衛艦は戦争末期でそこまで手が回らなかったのではないだろうか。答える人はきっと困ったことだろう。
今の時期にこんなことを言うことの意味は深い。政治的発言は厳に慎むべき立場にある人の、精いっぱいの意見表明と私は思いました。
非常時に、軍隊が民間人を助けますか?助けないと私は思います。私はそれほどナイーヴではありません。
軍隊が守るのは領土、あるいは軍隊に属する人間、作戦上不利になれば、足手まといの民間人は切って捨てる例が歴史の上ではたくさんありますね。一番悲惨なのが旧満州の民間人です。
軍隊は勢力を温存するために率先して逃亡、大勢の民間人が広い旧満州、内蒙古に放置されます。軍隊が自分を守ってくれるのがファンタジーでなければいいけど、ちょっと歴史を紐解けばとても素直に信じられませんね。
五日市憲法のことに他のときに触れていたのにもちょっと驚いた。誕生日の記者会見だったかな。それが、唯一、自分の思いを間接的に言える場面なんですねね。何を言って何を言わないか。それで用心深く思いを伝える。
戦後の民主主義教育第一世代は、やはり筋金入り。世の中が劇的に変わり、それを目の当たりにした世代。
もちろんそこから学ぶ人もいれば、学ばない人もいる。
いえいえ、どんな言説も制度を補強するように使われてしまうのが、この世界に稀なる制度。個人的にはどうであれ、個人であって個人でない人に過度の思い入れなどしない方がいいに決まっている。
知り合いで「素晴らしい方で尊敬している」という人がいますが、「私は個人的には知らないので何とも言えない」と答えておきました。彼女も直接の知り合いではないようですよ。そう思いたいのはなぜかと考えると、ちょっと暗澹。