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久しぶりの小石川植物園です。前に行ったときのことはほぼ忘れていますが、もう少し整備されていた記憶が・・・六義園や古河庭園と混同しているのかも。
東京都心部にも緑地がたくさんありそうです。広島は平和公園は別にして昔からの緑地はほぼ皆無。平和公園も戦後、各地からの樹木の寄付などで整備された場所なので、公園の緑は落ち着きます。
関東なので、見たことないものもたくさんあり、有意義な見学でした。
人の背より高いワラビ。出始めの新芽も大きい?
ヌマミズキ
オオリキュウバイ。大木でした。利休宗匠もびっくり。
八重桜が盛りでした。指導票にはサトザクラ系の・・・とありますが、我が地元では里桜の言い方はしないようです。
これは山桜に対しての里桜。園芸が盛んで桜の品種も数多かった江戸時代の名残かなと思ったのですが。
いちばん奥の建物は旧東京医学館本館。今は博物館の分館。
大震火災記念石。関東大震災では3万人がここへ避難し、後に仮設住宅も建てられたそうです。
ウスバヒメツバキ
葉も花も小さい椿です。中国台湾にあるそうです。珍しい。
大木になるカナメモチ。
花も大きい。初見。
大カナメモチの大木。別の場所で。
ツキヌキニンドウ。
二枚の葉が合わさっているのがユニーク。
初めて見たのはドイツのローテンブルク。
2012年11月 赤い実になっています。葉は寒冷地では落葉します。
確か、市庁舎前の広場で。日本のツキヌキニンドウは落葉するのかどうか・・・未確認。
初め緑のサクラ。五月ころ、誰もサクラを忘れたころに鮮やかなピンクになります。
こんな名前がついていました。御衣黄によく似ています。もしかしたら同じ花の別名?
一時間半ほど園内を歩き、また茗荷谷駅へ引き返します。
播磨坂の近くに石川啄木終焉の地の記念碑と記念館。
資料色々。
啄木は26歳で結核で死亡します。これはその前、母親も結核にかかり、窮状を知人に知らせる哀切な手紙。
介護施設の建物の一角を記念館にしています。
素直にありのままを。
最後の仕事は確か、朝日新聞の校正だったと思います。夜中に帰ることもあったのでしょう。
それにしても結核です。優秀な若者が夢半ばにして病に倒れる。
啄木、滝廉太郎、立原道造・・・みんなもっともっと生きたかったことでしょう。
地下鉄丸ノ内線にそのまま乗り、銀座で銀座線に乗り換えて新橋まで行きます。
赤い看板が今夜のホテル。
銀座も近いことをこの時は知らず。柳並木が銀座風。この先に博品館劇場があり、そこはもう銀座の入り口?
昔なら銀ブラしたかもしれないけど、ホテルで横になってひたすら休み、東京の一日目は終わりました。
翌日はいよいよ展覧会初日で、友人にも会います。ワクワク~
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