被爆証言集のファイル、印刷所に渡すための最終のものはないので、本日朝から古い写真のファイルを全部開いて確認中。
只今は2005年分。20年若かった。20年先のことはもちろん考えてなくて、毎日を過ごしていた。
写真いろいろ、保存用に上げてみます。
季節は順不同です。
2005/1/2
安芸区絵下山頂上で。珍しく大雪。帰省中の三男と夫、私で車で登る。途中で車を放棄して雪道を歩く。
誰かが作った雪だるま一つ。向こうは広島湾と広島の市街地。
2005/4/15
吉野の奥千本の入り口付近から振り返る。
遠く金峯山寺が見えています。
広島から大阪阿倍野まで夜行バス。お弁当買って近鉄に乗って吉野まで。
後はひたすら歩く。
この時も一人旅。どこへでも一人で徘徊する私。
これは2004年だったかも。奈良県大宇陀の天然葛製造販売の店。店の裏に楕円リング状の大きな沈殿池があり、葛粉を精製する。これは最後の段階。これだけの葛粉を作るのに、どれだけの根が要るのかと気が遠くなる。
沈殿槽。
吉野葛。
今は屋外の沈殿槽は廃止になったようです。
裏山には江戸時代からの森野薬草園があり、休憩小屋がありましたが、数年前、火災で消失。管理人もいないことから原因は不明らしい。
薬草園から見下ろした森野吉野葛本舗。
吉野のあとは京都へ。おやまあ、こんなところに。
この軒下に停めていた。近衛通りにある国の登録有形文化財。2005年。
大正14年、京都大学建築科の助教授だった森田慶一が設計。教授に清書を頼まれて、ほぼ全部書き直したとか、何かで読みました。
ホールの照明。
室内。
踊り場の窓。
玄関の壁のレリーフ。
スペインのロンダによく似た建物がありました。
2016年6月
今でこそスペイン風も珍しくないけれど、大正14年の京都では人目を引いたことでしょう。
京都大学学友会館、以前は素泊まりで安く泊まれたけど、今は宿泊はやめたようです。
高瀬川へ行く。2005年春、再現され高瀬舟。今はこの舟は置いてない?
2023年年末には見かけなかった。
車で帰省、車をいじり、また車で戻っていく。
この行動様式は20年経っても全く変わりません。違うのは家族が出来たことくらい。
岡山県三瓶山を下山して博物館へ。熊もびっくり。何を被っている?
ディスカウントスーパー開店の日。あまりに安くて、ニュースステーションで全国に放送されたこともある。
広島は川の街。市内を6本の一級河川が流れる。
夏になるとこんな光景も。広島駅近くの京橋川で水上スキーしています。
高松駅前に高層ホテルができ、それよりさらに高いビルが。珍しくて以前はよく行った。
三男がいなくなって寂しいのでネットで何かニュースがないかと検索していたら、大学のサークルで飼っていた豚が逃げ出して川端署に保護されたとか。
ブヒブヒ。
車好き。この時は足でこぐ省エネ型。
何でもかんでもぞろぞろと写真が出てきます。
旭町の網本さん宅。区画整理中。2005年頃。
井伏鱒二「黒い雨」の主人公静間重松のモデルになった重松静馬氏が下宿していた家。ここから歩いて宇品の糧秣支廠に通っていたそうで。
この時には重松静馬の住んでいた離れも写真の外側(右)に残っていた。
小説の中ではたくさん飼っていた鯉が死ぬエピソードがありますが、この時は鳩小屋。網本さんは生き物を飼うのが好きなお宅のようでした。
2005年年末、友達の家に行くと門松を飾っていたご主人が麦芽糖の飴をくださった。
穏やかないい方だったけど、2022年に亡くなられた。
東京裁判、パル判事の著書「パル判決書」。
広島大学、東千田キャンパスの図書室で借りてきた。今は社会人に貸し出ししているのかどうか。
証言集ができました。今から発送事務です。
話があちこちに飛びました。こんなことしていたらいつまで経っても証言集に手が回りません。
昨夜は義妹が来て、故姑の家に泊まった。舅の描いた絵を一部持って帰った。
確定申告のことを聞かれたので「パソコンで済ませた」と言うと、税務署にパソコン持って行ったのかと聞かれた。そんなことしませんってば。
税務署で並ぶとスマホでの申告の仕方を教えてくれるらしい。そのスマホさえ持たない人は・・・と夫が心配している。何とかなるのでは。
マイナ保険証も、最後までカード作らず頑張れば案外道は簡単に続いていたのかも。
今から証言集、頑張ります。
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