被爆証言集をネットに上げたブログ、一応日本語版のところは全部見直した。
4集が、特に写真、図表が落ちている。ホームぺージからコピペで編集。ホームページの消滅とともに文字のファイルは残ったのに、画像関係が消えたらしい。
コンピューターよく分からない悲しさ、こんなことなら初めからきちんとファイルを取っておくべきでしたね。ファイルは持っていたはずなのに、それも紛失。当時のパソコンも壊れて、記事の復元は時間かかりそう。
本日は消えた写真をもう一度撮り直しに行く。と言っても一部だけ。
これです。戦後、公的な機関が建てたのではなく、ここに属していた旧兵士の有志で建立したらしい。
広島市、県、あるいは広島の人達は原爆の記憶を継承するのには労力を惜しみませんが、それ以外の歴史はあたかもなかったかのようなふるまい。
もちろん、軍国主義を称揚してもらいたくないけど、近代の広島の、軍都としての歴史もきちんと残しておかないと片手落ちではないでしょうか。
原爆は自然災害ではない。物事には原因があり、結果がある。歴史の大きな流れの中で原爆被災をとらえ直す。そのような広い視点がこれからの日本人には必要ではないでしょうか。
「暁の宇品」の著者堀川恵子氏も軍関係の資料が本当に少ない、そのための記念館も作るべきとの講演会での発言でした。
被爆証言集の中のある人の話、船舶司令部では敗戦から占領軍が来るまでの期間、毎日、書類を燃やしていたとのことでした。日本各地、同じことをしていた話がありますね。もちろん、燃やしたという記録は残さない筈。
歴史の転換点ではこういうことは起こりがち。後世の人間はそれを残念に思います。
午前中なので逆光ですが、この場所に明治天皇が来たその記念碑。これは戦前のもののようです。
日清戦争当時、広島に大本営が置かれ、天皇も東京から移ってきます。この時は帝国議会の建物も急いで広島城近く建設され、政府の中枢機能も移動。広島はあたかも臨時の首都のような様相だったとのこと。
日本の近代の歴史の中で戒厳令が何度か出されています。いちばん有名なのは、二・二六事件の時ですが、日清戦争の時も港の周辺に限って発令された記録があります。日本が初めて外国と戦う(元寇は別として)。国を挙げての総力戦でした。
戦前、戒厳令を出せるのは天皇だけ。天皇大権の一つでありました。
ちなみに我が家には姑大権というのがあります。姑の犯すべからざる権力、権威で、過去に一度だけ発令。
バナナが傷むのを防ぐため、専用の道具もありますが、我が家では針金ハンガーを立つように曲げて、フックの部分にバナナを吊るしていました。
「お義母さん、ハンガーのバナナ貰っていいですか」と嫁ちゃん。
「いいよ。けど、ハンガーじゃなくてバナナスタンド」と訂正。
いゃあ、どう見てもハンガー、それを曲げたびんぼくさい道具。正式の名前には無理がある。それでも言い張るささやかな抵抗。それがわが姑大権であります。
話がそれました。
上の二つの記念碑の立つ場所は今は公園になっていますが、コンクリートの縁は建物の跡?
低い塀と石段は昭和十年代、物資が不足し始めたころの砂利をたくさん混ぜたコンクリ製、それは当時のものと思います。
皇紀二千六百年の年に建てられた記念碑。
田尻昌次の名前があります。陸軍運輸部司令官で、「日本には船がないので海外に戦線を拡げるのは無理」と東京の各省庁、軍に建白書を出し、軍務を解かれます。
しかし、歴史は田尻中将の心配したとおりになっていきます。
この船舶司令部、陸軍運輸部にいた有名な人としては先代の江戸家猫八。NHKの「お笑い三人組」の頃は原爆症で体調が悪く、画面に映らない時はセットにもたれていたと聞きましたが。たぶん徹子の部屋で。
丸山眞男もいたそうですが、原爆に関しては一言も触れていないとのこと。よく調べたらあるのかとも思いますが、言わない立場を貫くことが何かの主張になっていたのでしょうか。
しかし、原爆投下時、広島にいた人としての立場から、何か発信してもらいたかったと、私としては思います。
クルーズ船が来ています。これは小さい方ですが、いつ見てもマンションみたい。
近年、大きいのは宮島に近い廿日市に停泊することか多いそうです。
20年前の私は市内を飛び回って写真いろいろ撮っていたけど、20年の間にもすっかり変わったところもあります。日赤病院の被爆のモニュメントは電車通りから別の場所に移転したし。気候のいいうちに写真撮り直したいのですが、これはもう寿命との競争かも。
この後、被爆証言集のブログ、頑張ります。
来週は東京へ。移動はこの案内図が頼り。2023年、久しぶりに東京へ行き、ホテルの部屋にあったのを貰って来た。裏は英語版です。これ失くしたらどこへも行けないので、大切にしています。
先日の日本画展、絵葉書セットを無料で配布中。
手前上、奧村度土牛、下は平山郁夫、
二列目、上村淳之、上村松篁、奥田玄宗
三列目、杉山寧、山口蓬春
四列目、上村松園、横山大観
最後が前田青邨です。
斜めにしたのは光の反射を防ぐため。
日本画は季節を絵の中に盛り込むのも特徴かと思います。日本のたおやかな春の雰囲気を見て、こちらも気持ちが緩んで行く。
万事世知辛い世の中で、企業の社会に還元する文化活動に感謝。
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