今回は協会のごたごたを横目に見ながら「原点回帰」という意味で
『冨名腰義珍 翁』を取り上げてみたい。
「沖縄から来た空手家」というイメージといえば、「達人」と思うだろうが、
翁は体格に恵まれず、それ故か他の空手家の様に戦歴も無い。
沖縄には「野試合」の様なものはあったようだが、
翁には無縁だったようだ。
ただ、体の鍛練は欠かさず若い頃の写真は筋骨隆々としている。
翁は自由組手の導入に否定的ですでに大学で進んでいた
組手競技に導入に押される形になっている。
中山正敏氏が日本空手協会を設立するときに、翁は初代首席師範に就任しているが、
のちに協会から脱退した愛弟子と協会側に気を使い、協会の最高技術顧問を辞している。
簡単に言えば『冨名腰義珍 翁』も協会脱退組という訳だ。
ちなみに四大流派・「松濤館流」といわれるが、
『松濤』といのは「冨名腰翁」が書道の時に使う揮毫である。
それを勝手に、流派名に流用しているだけで
「冨名腰翁」は最後までご自分で流派名を名乗ることは無かった。
察するに、空手に「組手競技」を導入することも、「流派名」を名乗ることも
『ナンセンス』だとお考えになっていたのではないかと思う。
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『冨名腰義珍 翁』を取り上げてみたい。
「沖縄から来た空手家」というイメージといえば、「達人」と思うだろうが、
翁は体格に恵まれず、それ故か他の空手家の様に戦歴も無い。
沖縄には「野試合」の様なものはあったようだが、
翁には無縁だったようだ。
ただ、体の鍛練は欠かさず若い頃の写真は筋骨隆々としている。
翁は自由組手の導入に否定的ですでに大学で進んでいた
組手競技に導入に押される形になっている。
中山正敏氏が日本空手協会を設立するときに、翁は初代首席師範に就任しているが、
のちに協会から脱退した愛弟子と協会側に気を使い、協会の最高技術顧問を辞している。
簡単に言えば『冨名腰義珍 翁』も協会脱退組という訳だ。
ちなみに四大流派・「松濤館流」といわれるが、
『松濤』といのは「冨名腰翁」が書道の時に使う揮毫である。
それを勝手に、流派名に流用しているだけで
「冨名腰翁」は最後までご自分で流派名を名乗ることは無かった。
察するに、空手に「組手競技」を導入することも、「流派名」を名乗ることも
『ナンセンス』だとお考えになっていたのではないかと思う。
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