今日が一番素敵

丁寧な暮らしを心がけながら、日々、折々のの心模様を素直に語ります。
今が一番素敵との思いを込めて。

優しさを行動で示す人だった旦那さま

2016-12-06 06:53:54 | 家族

二十年数年前の話になりますが・・・・・・。

両親が私と同居、その後亡くなって以降は、郷里の広島に戻ることはほとんどなくなりました。

歳月の経過と共に、益々遠のいていった故郷です。

懐かしい良き思い出溢れる場所ながら、「ふる里は遠くにありて思うもの」、の心境になってしまいました。

 

余談になりますが、一歳の時に、三キロの地点で、私は被爆しています。

けれど、もの心ついた、まだ物資乏しい時から、両親に見守られ、恵まれた環境の中で大きくなりました。

被爆の苦労話も、父母はまったくと言っていいほどしませんでした。

ですから、私は被爆者といった負い目も感じないで、人生を送ることができたのです。

陰では、その当時の親の苦労は、相当なものだったに違いありません。

 

戦時中、医者の義父は、満州で病院を経営していました。

そのため、夫は被爆を免れることができました。

 

その故郷の広島に、夫が亡くなった今年は、五回も戻りました。

四十九日法要、春のお彼岸、お盆、秋のお彼岸、そして、今回の一周忌法要です。

このたびの一周忌法要が、今年の帰省納めになりました。

久しく遠かった懐かしいふる里が、一気に近づいた感がしています。

 

 

私が育った所
閑静な住宅地でしたが、ほとんどが様変わり。
斜め向かいの二軒のお宅のみ昔のまま.
この度、妹と久しぶりに戻り、
とても懐かしくて、感激しました。
実家の敷地は二分割され、別のお宅が二軒建っています。

 

恐らく今後も、私は広島に事ある毎に墓参で帰郷することになりそうです。

夫のお墓が、両親の菩提寺のように近ければよかったのに、と幾度も思いもしましたが。

私の父母のお墓は、母が亡くなった時に、私の住まいからさほど遠くないお寺に、広島から移転しています。

 

その菩提寺の住職様が、或る時、次のようにおっしゃいました。

「わたしは宗派は問いません。

墓地には、苗字が違う名前が二つ銘記されている墓石がいくつもありますが。

宗派が異なる人もいるのですよ」

とおっしゃられたのを、よく覚えています。

 

長男長女の結婚だった私達。

子供は娘二人ですから後継ぎはいません。

ですから、新たに夫婦のお墓を数百万もかけて作るのは、あまりにもったいないと思いました。

 

住職様のお言葉に甘え、私の両親のお墓に、夫の遺骨も埋葬し、墓石に両家の苗字を銘記することも考えましたが。

結局広島の菩提寺に本骨は埋葬することに。

そのために事ある毎に、私は広島に行くこととなりました。

遠方ゆえ、往復の新幹線、ホテル代などかなりの経費を要します。

 

夫と私の母校です。

 

けれど、私は単なる自己満足に過ぎないのかもしれないけれど、遠方に足を運ぶことで、却って心が満たされる自分がいます。

わたしの溢れるような感謝の気持ちが、このような行動を取ることによって、ストレートに夫に伝えられるのでは、との思いがあるからです。

 

母校のグランド

当時は、有名な難関進学校でした。
サッカーも全国制覇するほど強くて。
夫は、学年でトップの成績優秀な学生。
私は、小学校からの持ち上がりで、劣等生でした。(笑)

 

心で思うだけでなく、何か行動に移さないといられない気持ちが、私はしています。

もしかすると、夫がそういう人だったからかもしれません。

 

わたしの旦那さまは、日ごろはとても寡黙で、不愛想。

優しい言葉なんて、ほとんどかけてもらったことがありません。

けれど、いざとなるような状況が訪れると、言葉でなく、優しさを行動で示す人でした。

 

三つの具体例を上げることに致しますね。

ロサンゼルスに駐在している時、実父が肝臓がんを患い、余命いくばくと言われました。

義母は既に亡くなっていましたが、同居し介護していた叔母が、夫の帰国を切望したようです。

そのため、帰国を早めた夫でした。

仕事より、父や叔母の気持ちを優先し、帰国した夫には頭が下がります。

優しさを行動で示した良い例です。

 

その後も、父の容態が悪くなると、数か月間、なんと週末ごとに新幹線で父を見舞ったYさんでした。

一介のサラリーマン家族に過ぎなかった私達の暮らしには、経済的にかなりの負担で、そこまでしなくてもよいのでは、との不届きな思いが私の心を時によぎりました。

 

実家は、学校に近く、校庭の塀沿いのこの道を歩いて通学しました。
お見合いの直後、親のはからいで、デートした私たち。
肩を並べて初めて歩いた道。

その時、夫が突然、ワーズワースのポエムを口ずさんだのです。
これに騙されて、結婚したのかも。(笑)
何てロマンチストな人、と私の乙女心が一気にYさんに傾倒しました。(笑)

 

わたしが幾度か入院した時も同様です。

日頃は、勤務も残業や接待で、帰宅が遅い人でしたが,私の入院期間だけは、1日も休まず、せっせと見舞いに来てくれました。

見舞いに訪れたからと言って、冗談一つ言ったり、優しい言葉をかけて私を元気づけてくれるような人ではありませんでしたが。

行動で、Yさんなりの優しさを示してくれた人です。

そういった優しさは、受けた側も決して忘れないものですね~

 

ですから私も行動で、わたしの感謝の思いを伝えたい。

そのような気持ちでいますが・・・・・・。

フットワークの重い私です。

健康体でいつまでいられるか、それも自信がありません。

せめてしばらくは、この思いを大切にしたい、と思っています。

 

 


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感謝

2016-12-05 07:13:11 | 家族

師走を迎え、主婦の皆様の年末年始に向けての準備も、いよいよ佳境といったところでしょうか。

私は、11月の中旬に、夫の一周忌法要を無事に済ませ、ほっとする間もなく、慌ただしい師走を迎えることになりました。

 

法要の翌日、妹と尾道、倉敷に途中下車し、プチ旅行を愉しんだ私です。

四十九日法要後の三月初旬にも、尾道、倉敷を観光した私達でした。

その時は、運悪く、一番のお目当ての大原美術館が休館日。

そのうえ、倉敷の美観地区を観光途中で、私が体調を崩すといったハプニングに見舞われました。

そのため、今回はそのリベンジ旅行といった趣だったのです。

 

 

その日、夜遅く帰宅した私でしたが、その翌日から数日間、またまた酷い体調不良。

一周忌の法要を済ませ、ほぼ一年間の一人暮らしの疲れがどっと出たかのような有様でした。

顔がむくみ、何より気がかりだったことは、目が見えずらくなった事。

パソコンの画面がかすんでしまい、初めての事でしたから、何事と、とても心配になりました。

でも、目は翌日には回復。

顔のむくみが取れるのにはしばらくかかりましたが、今はすっかり元の体調に戻っています。

 

夫が亡くなってからの一人暮らしを、私にしては気丈に頑張ってきたつもりでしたが・・・・・・。

一周忌法要を済ませた大きな節目の時。

それまでのどこか張りつめていた気持ちが抜けても、不思議ではありません。

そのためによる、体調不良だったのかしら。

心模様が、体に大きな変化を与える良い例なのかもしれません。

 

張り詰めていた何がしかの糸が切れ、すっかりもとの私になれたのであれば、それは良い事と前向きにとらえたいものですが。

でもやっぱり、まだ元の自分には戻れてないようです。

夫のことを思い出すと、最近涙が出て仕方ありません。

命日が近づいてきたからでしょう。

 

 

 

少し前にも書きましたが、夫は自立自尊の人で、他の人に、家族と言えども頼ることは全くなく、弱音を吐くことも愚痴を言うこともない人でした。

疲れた、と言う言葉さえも、一度も耳にしたことがありませんでした。

ところが亡くなる数か月前からのこと。

「ずっとそばにいてほしい」と、思いがけない言葉を幾度か、夫が私に言いました。

如何にも、勇気を振り絞って言葉にした様な小さな声でした。

夫の矜持からすると、本当は、口にはしたくない言葉だったのかもしれません。

本当に辛かったのでしょう。

 

私はその言葉通りに、夫に献身的に尽くせたでしょうか。

三度の食事を作るのにも時間がかかりましたし、買い物にも出かけなければなりません。

花壇の手入れも、全くないがしろにはできませんでした。

色々思い出すと、夫の願いに十分応えきれていなかった私の不甲斐なさが思い出され、申し訳なさで、今更ながら涙が溢れます。

 

 こんな話を今さらしてどうなるのでしょう。

もうよします。

辛い気持ちになった時、元気が出る特効薬は、亡き夫の遺影に向かって、心から、ありがとう、ということです。

Yさん、本当にありがとう。

私の余生は、夫への感謝しかありません。

そういっても過言でないほど、夫への感謝の気持ちで一杯です。

 


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続 妹と愉しんだイベント二つ

2016-12-04 08:00:23 | 旅行

今日は前回の続編、また、妹と楽しんだイベントの話題です。

その二つ目のイベントとは、某デパートの日帰りデラックスバス旅行でした。

 

旅慣れていない私にもかかわらず、夫を失った傷心を癒し元気づけたくて、今年は、一人旅に幾度か臨みました。

かなり勇気を必要とすることでしたが、団体旅行の雰囲気には、自分は今一つ馴染めない気がしたからです。

 

鎌倉旅行に一人で出かけたとき、明月院の入り口で、大勢の団体客に出会いました。

笑顔もなく、さばさばとした態度で事務的に観光客に接していた旅行者のガイドさん。

観光客の人達の顔も、いま一つさえない感じ。

自由旅行の私は、ちょっぴり優越感を覚えた程です。

とは言っても、一人旅特有の緊張感もあるのですけれどね。

旅慣れていない私の場合は特に。

 

ですから、気楽に行ける旅行社のツアーにも魅力を感じていないわけではありません。

その期待に応えてくれそうに思えるのが、某デパートの旅行案内のパンフレットでした。

そしてついに、その旅行社に申し込み、、日帰り旅行を試す機会が訪れました。

 

 

 

 最初に、箱根のホテルパークハイアットでお昼食
日帰りのツアーにしては、豪華です。
お味も良くて、美味しくいただきました。
このひと時も、私の旅行の大きな楽しみの一つです。

 

妹をその日帰りツアーに招待しました。

プランは私が立てましたが、招待したのは娘たちです。

本来なら娘たちが力になってくれるはずだった相続の手続きを、妹が全面にわたって協力してくれました。

そのお礼の気持ちのようでした。

多忙な娘達に代わり、幾度も区役所や税務署、その他の窓口に頻繁に足を運んでくれた妹です。

どんなに心強く、有難かった事でしょう。

 

ホテルのレストランにて。
Aちゃん、本当に有難う。

 

そしていよいよ、その日帰り旅行の日が訪れました。

その日の印象が、今後私が利用できるかどうかの判断基準になりそうです。

集合場所までには、我が家から時間的には結構かかりますが、乗り換えなしでの往復は、有難い交通路。

地下鉄の電車が目的地に着き、某デパートの傍のエレベータで地上に出ました。

すると目の前に、見たこともないようなデラックスなバスが停まっていました。

 

そこで私を出迎えてくれた人たちの、何と感じのいいこと。

男性の添乗員さん、運転手さん、女性のガイドさん、三名の方達。

その印象の良さを、どのような言葉で表せばいいのか、語彙不足の私には難しく思えるほどです。

真心のこもった笑顔、丁寧で誠実な応対ぶり。

期待以上のお出迎えを受け、私の旅行気分が、一層ハッピーになりました。

 

御殿場あたりで途中下車したときに、撮らせていただいた写真です

 

目的地の箱根に着くまでの間、旅行慣れした妹が、バスの乗り心地やサービスについてなど、具体的に感想を述べてくれました。

今後のために、私が一番聞きたかったことです。

妹も驚いたようで、他のツアーバスとは乗り心地はむろん、装備もサービスもまるで違うと言って、感嘆していました。

ですけれど、何事も現実的で合理性を重んじる妹には、旅費が高すぎるとの印象は否めないようです。

「もっと高齢になり体が弱ったら利用するかもしれないけれど、今の私は日帰りに、こんな高い旅費を払うのはバカバカしい」

と言っていました。

 

お食事後、ポーラー美術館へ。

予定では、学芸員の講義を、4~50分受けることになっていましたが、バスの到着が遅れたため、
15分くらいの解説のみでした。
催しのタイトルは、[ルソー、フジタ、写真家アジェのパリ」展 
20世紀初頭のパリの街で活躍した人たちです。

個性的な風貌の藤田嗣治の絵画には、特に関心があったので、白の時代の絵画始め、色々鑑賞でき、とても有意義でした。
他にも、モネやセザンヌ、ゴッホなどの有名な絵画も・・・・・・。
総ガラスの透明感あふれる美術館の建物も素敵でした

 

妹の言うことは、その通りなのですが・・・・・・。

日ごろ気の合った仲ののとても良い姉妹とはいえ、雰囲気も好みも全く違う私たち。

お互い、その相違は認め合い尊重しながら、年を重ね、今日に至ります。

このツアーの受け止め方も違って当然です。

それぞれの嗜好にあった余生の愉しみかたをすれが良いだけの事ですよね~

山登りなんて、私には怖くて怖くて、絶対できっこありませんもの。(笑)

いつも、ブログを読み、すご~い、と感心してばかりの私です。

 

妹は、高過ぎるため、まだしばらくは利用する気はないとのことでした。

一方、体力に自信もない私は、準備に心を砕く必要もなく、気楽に出かけられ、サービスも万全、温かな雰囲気のこの旅行者の日帰りツアーを、今後もっと頻繁に利用してもいいかなぁ~、と今のところ思っています。

一流のレストランで、美味なお食事を頂けるのも魅力です。

順路の通りに画像を掲載するために、今回の旅行のレストランの写真は、最初にアップしました。

 

ポーラー美術館の後、訪れたのが箱根の仙石原ススキ草原です。

 

それにしても、このたびのツアー、日帰りにしては、確かに高いです。

これが、二泊三日、三泊四日ともなると、海外旅行並みの旅行代金だったりします。

 

このような遊歩道があることを、今回の観光ツアーで初めて知りました。

 

度々の利用は、遺族年金の身には贅沢すぎ。

利用するとしても、泊りの旅行は一回にとどめ、日帰りツアーを数度愉しんでは・・・・・・。

そんなイメージを頭に今のところ描いています。

これ以外にお墓参りで三回帰広することは、外せない私です。

 

こんな計画を立ててはみるものの・・・・・・。

大好きな家の中で、料理とガーデニングを愉しみ、平凡で穏やかな日々をマイペースで送ることに、至上の喜びを感じる私です。

 

その暮らしをもっと豊かにするために、自分磨きも心がけながら、決して多くない毎月の遺族年金のの余裕資金を使うべきではないだろうか。

切りつめた日々の暮らしに、少々疲れを感じることもある私ですから。

両方を思い切り楽しめれば、一番良いのだけれど、それは、私が今置かれている状況では無理です。

今の一番の迷い処、といったところでしょうか。

 

数十年前に、初めて箱根を訪れたとき、富士山より、幻想的なススキ草原の光景が、
一番印象に残った私でした。

 

幾分でも余裕のあるお年寄りは、若い人達のためにも、多少は散財をすべきではないか、と。

麻生さんの「あと何年生きるつもりですか」の失言が、大変なひんしゅくを買いましたが、一理あるような気もしている私です。

 

若い人達が、私達の若い頃と違って、将来不安を抱え、とてもつましい暮らし送っておられるのが、よく分ります。

せめて、多少でも余裕のある年寄りが、お金を有意義に使い、日本経済の活性化に貢献してはどうでしょう。

医療費もかからないように、健康維持の心がけを精一杯したいものです。

こんな生意気なことが言えるほど、私の暮らしも恵まれているわけではありませんけれど。

ささやかでも、役立つことができれば。

その程度の気持ちです。

 

そのうち、年金が激減する時代がやってきそうな感じも・・・・・・。

その時は,ひたすら家にこもって、必要最低限のもので余生を愉しみましょう。

愉しみ方も工夫次第ですね~

なあ~んて、またまた生意気なことを言って、実際そうなると落ち込みが激しいかもです。

 

その後も幾度か訪れた箱根でしたが、ススキ草原は、いつもバスの車窓から見るだけでした。
今回、目の前で観光する念願がやっとかないました。
遊歩道も散策でき大満足の私です。

 

夫が元気なころも、節約に心がけていたけれど、いろんな意味で気持ちの持ち様がまるで今は違います。

その落差に少々落ち込む時もありますが・・・・・・。

でも今の真剣な節約暮らしも、また新鮮で楽し、です。

くよくよしても始まらない。

前向き思考で、明るく元気に頑張りたいものです。

 


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妹と楽しんだ最近のイベントの思い出二つ

2016-12-03 07:17:53 | 文化

今日は、、随分前の事になりますが、、妹と過ごした愉しいひと時の想い出を二つ、話題にしたいと思います。

この場で、妹のブログもご紹介させていただきますね。

性格は、真逆と言っても良いほど異なりますが、とても仲良し姉妹です。

ブロガーとしては、大先輩。

ブログなるものの存在を、妹のお蔭で初めて知ったのが、7~8年前の事です。

世界に一つだけの姥花日記

http://blog.goo.ne.jp/yumeji_2014

 

今回の一連の記事も、大半が、個人的な思い出ばかり。

ライフスタイルの記事に添った内容とは言えません。

また少々、気が引けますが、これが私のブログスタイルの特徴の一つですので、ご了承くださいませ。

ひと時ひと時を丁寧に紡いでいきたいとの思いは、もしかすると、人並み以上かしら?

 

まず初めに、もう四か月程前のことになりますが、ルノワール展を観に、六本木にある新国立美術館に出かけてきました。

建物は、黒川紀章氏設計による建築としても有名ですよね。

久し振りの美術鑑賞でした。

 

 

 

今回は妹に教えてもらった交通ルートで向かいました。

地下鉄を一度乗り換え、最寄り駅に着くと地下道を歩くこと数分。

たちまち美術館にたどり着きました。

 

前回の時は車道沿いの歩道を結構歩いた覚えがあります。

とんでもない遠回りを、私はしたようです。

どこに出かけるときも、最短距離で行けるように、前もって道順をしっかりと調べる必要性を痛感した私です。

昨年からでしょうか。

Goo路線なるものを知って、必ず検索をするようになったのは。

時流から、いつも数十歩遅れている私です。(笑)

 

 

さてその展覧会場でも、私はボケ行動を犯しました。

いよいよ、会場に入場しようとしたところ、私の分のチケットが見当たりません。

実はそのチケットは、長女婿のHさんから貰った招待券でした。

妹には入館したところで手渡した私です。

Aちゃんに、「私の分も持ってなぁ~い?」と尋ねたところ、持ってないとのこと。

慌てた私。

きっと手渡す際、自分のチケットを落としたのかもしれません。

正に、その通りでした。

受け付けで事情を話し、落とし物がなかったか尋ねたところ、確かにありました。

けれどそれを手渡してくれるまでの受付嬢の慎重さに、少々びっくりした私です。

そのチケットが私のものであるかを、確認するためでしょう。

根掘り葉掘り質問されました。

 

絵画展のチケットなんて、千円程度。

そんなに慌てなくてもいいことかもしれないけれど、身内から貰った招待券でしたから、紛失してはなんだか申し訳なくて。

そのために、チョッピリ狼狽した私です。

 

ホッと一安心で、まずは昼食。
館内のフレンチレストランで、フルコースのちょっぴり豪華なお食事。

 

前置きが長くなりました。

ルノワールの絵画の感想は、私は月並みなことしか述べられませんが。

一方、個人的なエピソードにはその人となりの特徴が現れますから、読む方には、かえって面白かったりなさいませんか?

それで、お話しました。

私はそうです。(笑)

 

チケットも見つかり、無事に館内の展覧会場に入れた私たち。

ルノワールの絵画は、若い時から好きだったけれど、裸婦像には、ちょっぴり違和感があった私です。

何故ってあまりにふくよかすぎ、日本女性には見られない体形のように感じて、親しみが湧かないところがありました。

でも年を重ねた今だからでしょうか。

このたびの展覧会では、とても心打たれ、感動しまくりの私でした。

 

重いリュウマチを患い、亡くなる少し前に不自由な体で描いた大画面の絵画は特に。

水浴びできる草むらで、数人の裸婦が横たわっています。

その絵画の何と穏やかで、美しい事。

重い病を患いながらも、亡くなる数か月前のルノワールの老境の精神が、いかに満たされたものであったか、わかるような絵画でした。

 

 

この画家は、弟子たちに、「絵画は愉しくてきれいなものでなくてはならない」と言ったそうです。

まさにその通りの絵で、色遣いがとても美しく、温かで柔らかくて・・・・・・、

人々の表情も柔和そのもの、幸せに満ちています。

生きていくことの喜び、生命の輝きを謳いあげた人生の賛歌と言っていい、ルノワールの絵画でした。

 

まだ夫を失った悲しみを完全には拭い切れていない私には、ルノワールの絵は、大きな慰めになりました。

心が震えるほど感動した絵が、たくさんありました。

 

舞踏会の音楽と人々のさざめきが聞こえてくるかのよう

 

できることなら、新国立美術館を再訪し、もう一度鑑賞したいと願ったほどです。

こんな思いになったのは、美術鑑賞では初めての事かもしれません。

ふくよかな女性の書物に向けられた視線の、なんと柔らかなこと。

 

確かお盆のお墓参りと京都旅行を終え、しばらく経過した頃の事。

この展覧会の開催期日を私は調べ直しました。

ところが、なんと、最終日が、明日。

まだ旅行の疲れがj完全には抜けきれていなくて、体調がすぐれなかった私には、混雑も予想される最終日に、その展覧会場に出向く気力はありませんでした。

このような美術展に、私は今後またいつか、出逢えるでしょうか。

できることなら、そのようなチャンスに、また巡り会いたいものです

 

私も、ルノワールが絶筆として描いた絵画のような、柔らかで美しく温かな色彩の光景を脳裏に浮かべながら死ねたら、幸せだろうな~と思ったのでした。

 


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トランプ氏が次期大統領になり茫然

2016-12-02 07:00:15 | 社会 政治

このたびのアメリカ大統領選挙。

トランプ氏の勝利といった、思いがけない結果になりました。

本当に驚き、茫然。

しばらく胸の鼓動が高鳴るほどのショックを、私は受けました。

 

私は、夫の転勤で五年近く米国に在住したことがあります。

その時の思い出は、今なお、キラキラ輝いていて、貴重な体験の詰まった宝物となっています。

尊敬できる良き友人達に恵まれた事が一番大きな理由ですが、アメリカのおおらかで優しい懐の深さのようなものを感じながら過ごすことができました。

第二の故郷と言っても良いほど、私には懐かしい場所です。

 

私たち家族が在住していたロサンゼルスのダウンタウン
訪れた懐かしい場所の画像を拝借して掲載します。

 

次女の義妹さんが、我が家を訪問下さったとき、私はたまたま留守だったのですが、次女に、わが家がアメリカの家に雰囲気がとても似ているとおっしゃられたとか。

その方は、日本の大学を卒業後、四年間、アメリカの大学に留学されていました。

お嬢様が、帰国されて間もない頃のお話だったと思います。 

本当は和洋折衷の我が家なのですけれどね

その様に言われるのもむべなるかな、と思うほど、私は知らず知らずのうちに、アメリカの影響を受けていたのでしよう。

 

イエローストン

 

アメリカに行く前と、帰国後の私は別人のように変わったようです。

日本に戻りしばらく経過後、やはり私と同様に、義弟の転勤でドイツに在住していた妹が帰国しました。

久し振りに再会した私たち。

その頃の感想だった、と思いますが、「以前のお姉さまとは別人のよう」と。

そういえば、母にも似たような事を言われました。

 尊敬できる友人達の薫陶を受けた事が一番大きかったと思いますが、

アメリカのおおらな逞しい気風にも感化され、一回りも二回りも成長できたのであれば、本当に嬉しい事です

 

グランドキャニオン

 

個人的な思い出はさておき、また大統領の選挙に話を戻します。

世界第一位の経済大国、アメリカの元首ともなると、私達は「偉大な人」とのイメージをつい抱きがちですよね

 でも、アメリカ大統領と言えども、同じ人間のする事。

イラク進攻の様な愚かな政策をとることもあるのでしょうけれど・・・・・。

 

私はやはり自由・人権・平等を尊重する民主主義の理想の姿が具現された国。

それがアメリカの姿だと思ってきました。

今後の世界平和の貢献のために、リーダーシップをとってくれる国として、大いに期待もしています。

むろん、良識のある人が、大統領になれば、の話ですが。

 

トランプ氏は、その良識を身に付けた人なのでしょうか。

これまでの暴言や人種差別甚だしい発言を聞く限り、そのように思えなくて、とてもとても不安です。

 

ホワイトハウス

 

私が唯一繋ぐ希望は、トランプ氏の暴言や詭弁が、選挙に勝つための戦略による表向きのものにすぎず、実際はもっと思慮があり慎重に行動できる人なのでは、との思いです。

そうあってほしいけれど、彼の経歴を見る限り、大統領にふさわしいひとなのか、首をかしげたくもなりますよね~

経歴がすべてではありませんが。

新聞を読む限り、見識のある方々の、先行きへの深刻な懸念が読み取れます。

 

トランプ氏のような人が選ばれるのは、世界のグローバル化により、貧富の差が激しくなり、絶望に近いほど、中間層の不満が大きくなっているからのようです。

抜き差しならないような切羽詰まった暮らしをする人たちが、わらをもつかむ心境で、トランプ氏に期待をしたのでしょうか。

このひとたちが望むような変化が、多少でもあれば、彼が選ばれた甲斐があるのかもしれないけれど・・・・・・。

世界情勢がますます不安になり、失業者が一層増え、平和が遠のいてしまう懸念もありますね。

将来がますます予測不能になり、なんだかとても心配です。

 

自由の女神像

 

私の大好きなアメリカです。

尊敬に値する、多様性を認める懐の深い自由の国、アメリカで、いつまでもいてほしいものです。

気候変動対策や核なき世界を目指そうとするビジョンが、潰されててしまうことのないようにひたすら祈っています。

 


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年末の私の徒然なる思い~頑張らなくては

2016-12-01 07:03:13 | 暮らし

個人的な思い出ばかり綴っていると、なんだか気が引けてくる私です。

そろそろ、ライフスタイルにふさわしい内容の記事を書かなくては、と。

それで、今日は私の年末の大掃除の捗り具合についてを話題に致します。

 

「丁寧な暮らし」と「ライフスタイル」のランキング記事をいろいろ読ませていただくたびに、私は唯々感心するばかりです。

実にお部屋がきれいで、清々しい雰囲気。

どこも磨き上げられ、キラキラ輝いているよう。

そのうえ、センスも良くて。

北欧風のナチュラルなインテリアが主流のような印象を受けます。

 

娘達の家も、我が家とは雰囲気が全く異なります。
今風のインテリアといったところでしょうか。
専業主婦の私と違い、娘たちは、総合職で働くキャリアウーマンです。
家でも、熱心に仕事中の長女のMちゃん。

 

それに比べ、我が家の雰囲気は骨董品と化した調度品ばかりで、キラキラ輝いているものなんてありません。

応接セットなど、家具も30年ほど前、新築時に購入したの物がすべてと言っていいほどです。

張替え、塗り替えなどは一度お願いしていますが。

キッチン用品もすべて、幾十年も使い込んだものばかり。

買い物好きとは言えない私は、自分が一度気に入って購入した物は、徹底的に使い込む主義なのかもしれません。

 

そんなわが家ですが、幾つ年を重ねても、年末になると、大掃除はそれなりに頑張ります。

けれど、そういえば、去年は、途中で中断してしまいました。

その後、その続きをした記憶がありません。

夫が亡くなったのが、12月14日の事でしたから。

それから半年間くらいは、涙を拭いながら暮らしていた私です。

でも家事はなおざりにはできない性分ですから、食事の準備やお掃除以外にも、少しずつでも、収納の整理などは心がけてきました。

ですから、割と家はすっきりしているほうかもしれません?

娘達も、それは認めてくれています。

とは言っても、1日の大半を過ごすキッチン兼ファミリールームは、時々収拾がつかなくなるほど、散らかることもあるのですけれどね。

 

わが家で私が一番好きなこの部屋で、私はいつも暮らしています。
そのため、光熱費もあまりかからなくて、大助かりです。

 

でも十月の中頃になると、すべて、一からやり直さないといけない気分になってしまう私です。

年中、大掃除のような作業を少しずつでも心がけているのであれば、年末だからと言って、特別慌ててやる必要もない、と思うのですが。

それが私の理想ではあるけれど、日々の家事がそこまで念入でないために、一から出直しになってしまうのでしょう。

ガラス拭きや、庭やポーチのタイル磨きなどはほとんど普段はしませんから。

 

こんな私ですので、今年も大掃除は頑張ります。

老体を鞭打ってでも。

 

こちらは次女宅。マンション暮らしです。
長女より、インテリア関連の本が大好き。
こだわりが強く、私にちょっと似ています。

 

今年に限っては、気持ちの大きな切り替え日は、お正月ではなくて、12月14日の夫の命日だと思っている私。

ですから、それまでに大掃除は、すべて完了。

そうしたいと願っているのですが、さてさて順調に捗るでしょうか?

やたらと多い収納場所の整理は、一応すべて済ませました。

そういえば、屋根裏のみ、まだ手を付けていません。

割ときれいなので、このままでもいいかしら。

床のワックスかけも済みましたよ。

今は庭のタイル磨きを始めています。

 

お正月の前に、私の大好きなクリスマスシーズンがやってきます。

街中に出ると、もうクリスマス一色の煌びやかな雰囲気に包まれていますが。

わが家のクリスマスの飾り付けをいつから始めるか、悩ましい所です。

まだ喪中の身の私ですから。

 

迷った挙句、飾り付けはそろそろ始め、イルミネーションの点灯は喪中明けから、と今のところ予定しています。

わが家のツリーも長年使用し、かなりくたびれていますが、天井に届くほど大きさです。

そのため、組み立ては、元気なころはいつも旦那さまの役目でした。

今年は一人で、ぼつぼつ頑張りましょう

 

 2年前のクリスマスシーズンののわが家です。
毎年、いつも同じ光景です。

 

早く年末の大掃除も完了し、クリスマスの飾り付けも終わり、年賀状もすべて書き終える。

そんな状態に1日も早くなってほしいものです。

年末特有のストレスって、皆様にはありませんか。

 

十数年まえのことですが、クリスマスを迎える直前にダウンし、一週間入院したことがあります。

年明け前に退院できましたが。

長女宅で数週間療養させてもらいました。

結婚以来初めて、自分でお節を作らなかった新年でした。

 

今年は、元気に乗り切りたいものです。

まずは、一周忌の法要を無事に済ませることが、私にとっては一番大切なこと。

12月は、孫たちの期末テストがあり、お寺さんの事情もあって、ひと月ほど早めることにしました。

(法事は既に終わっています。今回の一連の記事と投稿時の時間差のため、このような内容になってしまいました。)

 

最近は、また涙もろくなってしまって・・・・・・。

複雑な心境の師走になりそうですが、何とか頑張りましょう。

 

 


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