今日が一番素敵

丁寧な暮らしを心がけながら、日々、折々のの心模様を素直に語ります。
今が一番素敵との思いを込めて。

優しさを行動で示す人だった旦那さま

2016-12-06 06:53:54 | 家族

二十年数年前の話になりますが・・・・・・。

両親が私と同居、その後亡くなって以降は、郷里の広島に戻ることはほとんどなくなりました。

歳月の経過と共に、益々遠のいていった故郷です。

懐かしい良き思い出溢れる場所ながら、「ふる里は遠くにありて思うもの」、の心境になってしまいました。

 

余談になりますが、一歳の時に、三キロの地点で、私は被爆しています。

けれど、もの心ついた、まだ物資乏しい時から、両親に見守られ、恵まれた環境の中で大きくなりました。

被爆の苦労話も、父母はまったくと言っていいほどしませんでした。

ですから、私は被爆者といった負い目も感じないで、人生を送ることができたのです。

陰では、その当時の親の苦労は、相当なものだったに違いありません。

 

戦時中、医者の義父は、満州で病院を経営していました。

そのため、夫は被爆を免れることができました。

 

その故郷の広島に、夫が亡くなった今年は、五回も戻りました。

四十九日法要、春のお彼岸、お盆、秋のお彼岸、そして、今回の一周忌法要です。

このたびの一周忌法要が、今年の帰省納めになりました。

久しく遠かった懐かしいふる里が、一気に近づいた感がしています。

 

 

私が育った所
閑静な住宅地でしたが、ほとんどが様変わり。
斜め向かいの二軒のお宅のみ昔のまま.
この度、妹と久しぶりに戻り、
とても懐かしくて、感激しました。
実家の敷地は二分割され、別のお宅が二軒建っています。

 

恐らく今後も、私は広島に事ある毎に墓参で帰郷することになりそうです。

夫のお墓が、両親の菩提寺のように近ければよかったのに、と幾度も思いもしましたが。

私の父母のお墓は、母が亡くなった時に、私の住まいからさほど遠くないお寺に、広島から移転しています。

 

その菩提寺の住職様が、或る時、次のようにおっしゃいました。

「わたしは宗派は問いません。

墓地には、苗字が違う名前が二つ銘記されている墓石がいくつもありますが。

宗派が異なる人もいるのですよ」

とおっしゃられたのを、よく覚えています。

 

長男長女の結婚だった私達。

子供は娘二人ですから後継ぎはいません。

ですから、新たに夫婦のお墓を数百万もかけて作るのは、あまりにもったいないと思いました。

 

住職様のお言葉に甘え、私の両親のお墓に、夫の遺骨も埋葬し、墓石に両家の苗字を銘記することも考えましたが。

結局広島の菩提寺に本骨は埋葬することに。

そのために事ある毎に、私は広島に行くこととなりました。

遠方ゆえ、往復の新幹線、ホテル代などかなりの経費を要します。

 

夫と私の母校です。

 

けれど、私は単なる自己満足に過ぎないのかもしれないけれど、遠方に足を運ぶことで、却って心が満たされる自分がいます。

わたしの溢れるような感謝の気持ちが、このような行動を取ることによって、ストレートに夫に伝えられるのでは、との思いがあるからです。

 

母校のグランド

当時は、有名な難関進学校でした。
サッカーも全国制覇するほど強くて。
夫は、学年でトップの成績優秀な学生。
私は、小学校からの持ち上がりで、劣等生でした。(笑)

 

心で思うだけでなく、何か行動に移さないといられない気持ちが、私はしています。

もしかすると、夫がそういう人だったからかもしれません。

 

わたしの旦那さまは、日ごろはとても寡黙で、不愛想。

優しい言葉なんて、ほとんどかけてもらったことがありません。

けれど、いざとなるような状況が訪れると、言葉でなく、優しさを行動で示す人でした。

 

三つの具体例を上げることに致しますね。

ロサンゼルスに駐在している時、実父が肝臓がんを患い、余命いくばくと言われました。

義母は既に亡くなっていましたが、同居し介護していた叔母が、夫の帰国を切望したようです。

そのため、帰国を早めた夫でした。

仕事より、父や叔母の気持ちを優先し、帰国した夫には頭が下がります。

優しさを行動で示した良い例です。

 

その後も、父の容態が悪くなると、数か月間、なんと週末ごとに新幹線で父を見舞ったYさんでした。

一介のサラリーマン家族に過ぎなかった私達の暮らしには、経済的にかなりの負担で、そこまでしなくてもよいのでは、との不届きな思いが私の心を時によぎりました。

 

実家は、学校に近く、校庭の塀沿いのこの道を歩いて通学しました。
お見合いの直後、親のはからいで、デートした私たち。
肩を並べて初めて歩いた道。

その時、夫が突然、ワーズワースのポエムを口ずさんだのです。
これに騙されて、結婚したのかも。(笑)
何てロマンチストな人、と私の乙女心が一気にYさんに傾倒しました。(笑)

 

わたしが幾度か入院した時も同様です。

日頃は、勤務も残業や接待で、帰宅が遅い人でしたが,私の入院期間だけは、1日も休まず、せっせと見舞いに来てくれました。

見舞いに訪れたからと言って、冗談一つ言ったり、優しい言葉をかけて私を元気づけてくれるような人ではありませんでしたが。

行動で、Yさんなりの優しさを示してくれた人です。

そういった優しさは、受けた側も決して忘れないものですね~

 

ですから私も行動で、わたしの感謝の思いを伝えたい。

そのような気持ちでいますが・・・・・・。

フットワークの重い私です。

健康体でいつまでいられるか、それも自信がありません。

せめてしばらくは、この思いを大切にしたい、と思っています。

 

 


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