今日が一番素敵

丁寧な暮らしを心がけながら、日々、折々のの心模様を素直に語ります。
今が一番素敵との思いを込めて。

私の心の支えとなった友人の言葉

2016-07-14 07:17:54 | 想い出
夫の葬儀後に頂いたお手紙やメールにおける、とても印象的な言葉。
 
今も深く心に刻まれ、折々で私を励まし、慰め、支えてくれていることについて、少しずつ書き留めていこうと思います。
 
 
「豊橋でなん十年ぶりでお会いしたとき、腰の痛みにかかわらず貴女が、どんなに幸せな人生だったか、すぐわかりました」
 
 
 
 
 
私はこの一言を目にした時、友人の優しい気遣いを有難く思うとともに、改めて夫への感謝の気持ちが溢れ、涙しました。
 
 
 
 
 
 
私が秘かに慕い尊敬して止まなかった中学の同級生、Iさんからのお手紙に書かれていた文章です。
 
Iさんは、私が小学生の時、六年間にわたってお世話になった担任の先生のご長女でした。
 
とても優しくて、お姉さんぽい雰囲気。
 
学業も、とても優秀な人でした。
 
 
彼女とは親しくなりたかったのだけれど、結束の固い仲良しさん達がすでにもういて、そのグループに入れてもらえなかった辛さは、今でも思い出します。 
 
その頃の私は、主体性などまるでなく、どこかお嬢様気取りのおとなしいに女子学生に過ぎませんでした。
 
お嬢様気取りなぁ~んて言っても、一介のサラリーマン家庭の娘に過ぎなかったのですけれどね。(笑)。
 
 世間知らずもいいところでしたし、花にたとえれば、「白百合」なんていわれて、清純派ぶっていました。(笑)
 
そんなひ弱な雰囲気の私に、彼女は魅力を感じなかったのでしょう。
 
 
そのクラスは、個性的な学生が多く、学校行事にも前向きでとても良いクラスでした。
 
中学の難関試験を合格した優秀な学生が大半を占めていました。
 
私は、小学校からの持ち上がりで、受験は経験しなかったも同然。
 
そのためか、中学入学後は、最初からコンプレックスが結構大きかったように思います。
 
 
 
 
小学校高学年になるまでは、勉強なんて一生懸命した覚えはほとんどなかったけれど、オール5が当たり前のような生徒でした。
 
小学校レベルの内容なら、何をしなくても十分ついていけていた私です。
 
 
 ところが、中学に入学した途端、委縮してしまって、成績はみるみる下り坂。
 
(ネットで調べたところ、私が小学生当時の成績表は、かなりアバウトなものだったようです。
頑張っている子には、オール5の成績を先生がよく付けた、と書かれていました。笑)
 
 
けれど、中学の学習内容は、そんな生易しいものではありませんでした。
 
無力体質との診断を受けたほど、疲れやすかった私。
 
勉強に取り組み、やる気は十分あっても、すぐぐったりしてしまって、集中力が続きませんでした、
 
それも原因の一つだったかもしれないけれど、要領も悪くて勉強のコツがよくわかっていなかった私です。
 
 
前のお宅にお住いだった大学講師のK先生が週一回、ご指導下さったお蔭で、英語だけは、よくできましたけれど。
 
高校時代は、数か月、登校拒否もしたりして・・・・・・。
 
ですから中高時代の自分が、今思い出しても一番好きになれません。
 
 
 
 
 
そのため、大学は、恩師のF先生の推薦で、或る中堅のミッション系の女子大に入学でき 英文学を専攻しました。
 
最初の二年間は能力別クラスになっていて、私は英語だけは比較的優秀だったらしく、一番良いクラスへ。
 
大学時代も、後悔することはいろいろあるけれど、心から信頼できる友人二人に恵まれ、充実した学生生活を過ごせました。
 
そのうちの友一人は、亡くなって二十年以上が経ちます。
 
めったに会えないもう一方の名古屋在住の親友は、今でも、私の心の友であることに変わりありません。
 
電話でたまにお話すると、身内のような親近感を覚えます。
 
 
冒頭でご紹介した今日の記事のテーマらしき言葉から、随分外れた内容になってしましました。
 
いかに私が、か弱くて存在感の薄い人間であったかを説明したくて、前置きが長くなりました。
 
それが、中学時代の友人、Iさんの
 
「腰の痛みにもかかわらず、貴女がどんなに幸せな人生だったか、すぐわかりました。」
 
に繋がるのでしょう。
 
この続きは、明日にさせて頂きますね。
 
 
追記
 
拙いブログにもかかわらず、たくさんの方達に応援いただき、ありがとうございました。
思うところがあって、しばらくランキングを外れようと思います。
 
結構気が小さい私。(笑)
半年ほど前でしたでしょうか。
マイページのポイントが操作を受け、大きく変動したことがありました。
夫が亡くなり、しばらくお休み後、復帰した頃の事です。
 
1000以上あったインポイントが、突然800くらい削られ、260ほどになり、動かなくなりました。
数日不自然な動きが続きました。
数度ブログ村に、その原因を問いあわせましたが、無回答でした。
それ以来、不信感が拭えなくなってしまっている私です。
 
それとは別に、インポイントがいつもに比べ、異常に少ない日があると、自分では正直に書いているに過ぎなくても、自慢話に聞こえて、皆様の心証を悪くしてしまったのでは、などとくよくよ、ドキドキする自分がいます。
そんな自分が情けなくて嫌でたまりません。
過去、数年に亘って中傷を受けたトラウマから、完全に立ち直れていないのかもしれません。
 
煩うことなく、伸び伸びと記述するために、ランキングを外れる方がよいのでは、と思い始めました。
単なる気まぐれにすぎないかもしれません。
またすぐ戻ってくるかもしれません。
その時は、今まで同様、お付き合いの程、宜しくお願い致します。
 
お休みの間に、今後どのようなスタイルでブログ綴りに臨めばよいのか、試行錯誤してみようと思っています。
知識もボキャブラリーも乏しく、文章力に全く自信がない私。
ブログ綴りは、結構苦労を要する作業です。
でも辞めることはできません。
止めると、ボケが一気に進んでしまいそう。
認知症になるのが怖いから。(笑)
予防に、ブログ綴りほど効果があるものを、私は他では見つけられません。
 
皆様の温かな励ましの応援に、心より感謝申し上げます。
ランキングは外れますが、ブログ村には今のまま在籍させていただくつもりでいます。
新着記事が目に留まりました時には、宜しければ、お立ち寄り下さいませ。
 
バナーを一旦外しましたが、取り付けたままにすることに致しました。
 

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