この度の地震は本当に怖かったです。
東日本大震災の時は、夫はまだ元気でしたから、一目散で階段を駆け上り、Yさんの書斎へと。
するとYさんは表情一つ変えず、悠然とリクラインチェアーの背にもたれていました。
何事が起きても、決して慌てない冷静なYさん。
その姿を見て、動顛した私の気持ちが一気に収まったものです。
しかし、頼れる人が今はいません。
とても心細いけれど、仕方ありませんね。
仕事で疲れているであろう娘達に、夜遅く電話を掛けるのは、極力控えたいと思っている私ですが・・・。
こんな大きな地震の直後は、さすがに目を覚ましているに違いないと思い、二人に電話を掛けました。
ところが、何と通信が切れていて、電話が掛けられません。
事態の深刻さを改めてまた思い、気持ちが高ぶりましたが・・・。
幸いにも、妹の所は通じました。
私が、「東日本大震災の時より揺れを大きく感じた」と言うと、
「そんなことはないわよ。あの時はもっと酷かった」と妹。
「ミシミシガタガタ凄い音が長い時間にわたってして・・・」とまた言い返すと、
「木造住宅だからよ」と妹の返答。
確かにそうかもしれません。
木造の住宅の方が、地震の恐怖は大きいのでしょう。
気持ちが落ち着いたころ、ラインを見ると娘達がラインの交信を交わしていました。
それを見る限りでは、マンション住まいの次女宅より一軒家の長女宅の方が揺れたようです。
次女宅は、旦那さんも子供達も目を覚まさなかったそうですから。
いつも、とても冷静な長女が「怖かったね。ママ大丈夫」と声をかけてくれていました。
返事をしようと思ったのですが、ラインは未だに苦手な私。
字を打とうと思っても、うまくいかず諦めました。
娘達は、今後、また大きな地震に見舞われたなら、必ずすぐ、ラインで無事を知らせてほしいです。
無事の知らせほど、嬉しい事はありませんから。
今後南海トラフ地震や都心の直下型地震がわが国を本当に襲うのでしょうか。
この歳になって、その苦労に堪える自信もないし、家族の悲劇何て絶対見たくありませんから
その前に、死んでしまいたい。
情けない言葉だけれど、気弱な私の正直な気持ちです。
最後になりましたが、また被災された方達には、心からお見舞いを申し上げます。
気弱な事を言いとても恥ずかしいですが、大震災に見舞われたなら、皆さんの様に、わたしも強く逞しくなって乗り越えられますように。
そう願いはするものの、まるで自信がない私。
恥かしい限りです。
コロナの禍、ロシアによるウクライナ侵攻の悲惨な報道、この度の度重なる大地震。
胸騒ぐことばかりで、心が沈んでしまいそうですが・・・。
せめて政府が明快なる良き対応を示して、国民のストレスを緩和してほしい、と切に願っています。
追記
ファイザーだったのですが、ワクチン接種の副反応が強烈で、二日間床に就いたままでした。
この詳しいお話は次回で。
ノートは私の暮らしの必需日。
その日の計画を立てたり、瞬時の思いを書き留めたりと・・・。
毎年、二十冊位、購入しています。
気分を入れ替えたくなると、まだ空白がたくさんあっても、新しいノートを使用したくなる私です。
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