お正月のたびに毎年披露させていただいてきた、我が家のお節料理。
毎年瓜二つで、全く変わり映えしませんが。
変わらないということに、我が家の伝統を思い、幸せを噛みしめられるひと時です。
変わったことと言えば、作り手です。
60歳までは、私がほとんどすべて作り、家族に振る舞っていました。
洗い物も、私が率先してやりました。
日ごろ仕事と育児で多忙を極める娘達には、実家に戻った時くらいのんびりしてもらいたい、との親心で一杯でしたから。
ところが還暦を過ぎた年末だったでしょうか。
急に具合が悪くなり、暮れに思いもしなかった入院生活。
何とか年が明ける前に退院。
その頃長女が住んでいた青山のタワーマンションに居候。
しばらくふらふらで歩くのがやっと、そんな雰囲気で、長女に面倒を見てもらいました。
朝食の食卓
梅型人参を入れるのを忘れたようです。
その時以来、娘たちの態度が急に変わりました。
家族のイベントがある時は、私に頼らず、すべて娘たちが取り仕切るように。
お節の娘たち担当のお料理が、年毎にみるみる増えていき・・・。
最近のお正月で、私が必ず作るのはお煮しめと、あと数品で終わり。
今年の私担当は、お煮しめ、七色なます、ごぼうの牛肉巻き、鶏の野菜巻き、里芋の含め煮でした。
楽をさせてもらっているつもりですが、それでも準備するのは結構大変。
手際が、どんどん悪くなっているのでしょう。。
三段重のお節を、長年に亘って、私が一人ですべてこしらえていた時代があったなんて、嘘のようです。
10月に結婚し、最初に迎えたお正月も、実家に遠距離電話を何度もかけ、母のお節と変わらない品数を、やっとの思いでを作り上げたものでした。
それからおよそ52年間、毎年お正月を迎える度に、ほとんど同じ内容のお節を作り続けてきた私です。
こしらえなかったのは、先述した年末の入退院後の年始、夫が12月に亡くなりその翌年迎えたお正月の時だけ。
華やかな絵柄がお正月のふさわしいと思い、初めて今右衛門の器にお煮しめを盛ってみました
それを、いつの間にかしっかり受け継いでいる娘達。
最初は慣れないお節づくりに、いろいろ苦労もあったでしょうに。
今は、もう完璧。
以前は、家族が起床する前に、私がすべて詰め、食卓の準備もしたものでしたが。
今は、お節を詰める際も、私はほとんど手を出しません。
恐らく娘たちの頭には、自分なりのイメージが出来上がっていて、好きなようにしたいでしょうから。
私は任せています。
夕食の食卓
写真を撮る前から、食べ始められてしまい、みっともない姿に。
仕方なくカモフラージュしてパチリ。
毎年、長女が美味しい焼き豚を用意してくれるのですが、今年は残念ながらありません。
このお節、我が家ではいつも大好評なんです。
一番幼いかれんちゃんも、お節が大好きのよう。
食卓は、居間の座卓を子供用にしているため、お皿とお箸を持って、お重箱のお料理を数品取っては自分の席に戻り食べています。
いつも笑顔がいっぱいで、私が尋ねると、「お節大好き!」と答える子供達。
私はそれを眺めてご満悦。
さすがに私の孫たち、と。
楽しい元旦の日が暮れ、お夕食の後、長女家族は自宅に戻りました。
次女家は二日の午後、義父母様宅でお祝いの席に就くため、我が家を後にしました。
義父母様宅用に次女が詰めたお節です。 さぞ喜んでくださったことでしょう。
このお重箱は、昨年次女が購入した物です。
次女家のように北欧風のインテリアの住まいにはぴったり。
お節がとてもよく映えました。
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花のように泉のように