友をお招きする日の朝(4月5日)、N君の訃報が入り、動転してしまった私です。
でも刻々と、お客様がいらっしゃる時間が迫っています。
気を取り直し、一時その事は忘れて、準備をするしかありません。
時に目を潤ませながら、料理に励みました。
友人に話しては、せっかくの会に水を差すでしょう。
ですから、そのことには一切触れませんでした。
敬愛して止まない、麗しい人格の友達の話に耳を傾け頷きながら、楽しく充実した時間を過ごした私です。
この日の思い出は、日を改めてお話しさせていただきますね。
友人をお招きした時に飾ったお花
今もまだ元気です。
その翌日、部屋が片付き一段落ついてから、まず妹に、N君の訃報の連絡をしました。
母親同士とても親しく、我が家によくいらしていたN君のお母様。
小学生だったやんちゃ坊主のN君も、いつも一緒。
ですから妹も、N君のことはよく知っています。
一時は憧れの目でN君を見ていた、とのこと。
私、初耳ではないかしら。
母親も一緒の、親密な共通の思い出があるからでしょう。
特別な親しさをN君には感じていました。
お互いの結婚式には、もちろん参列した私達。
実は、私とYさんとの結婚のご縁は、N君のお母様の間接的なご紹介によるものです。
しかし、結婚後は郷里を離れた私。
ですから、同窓会以外、会う機会がほとんどどなくなりました。
でも、たまに会うと、相変わらず子供のころの愛称で、私はN君のことを呼びました。
ところが、ここ5~6年の間に二度ほど、個人的に再会する機会に恵まれた私です。
このブログでも記事にしましたが、一度目は、二人がともに指導を受けた家庭教師の先生にお目にかかりに。
二度目は、その後亡くなられた先生のお墓参りにも出かけました。
岡山大学の名誉教授でいらしたK先生(グレイの背広の方です)
どこまでも穏やかで、凛とした先生のお姿は、私が目指すお年寄りの今でも見本です。
N君にも同じ思いを抱くようになった今の私。
その理由となった感動的なお話は、お別れ会の記述の時に致します。
先生のお宅は、広島市からは少し離れた三好市にありました。
N君の車の助手席に乗せていただき、三次までの約4~50分の間、思い出話に花を咲かせたものです。
二度とも、夜は一流の和食処で、ふぐ料理と会席料理をご馳走になりました。
美しい奥様も、もちろんご一緒に。
二度目の出会いは、K先生の墓参をした一昨年のことにすぎません。
ですから、この度の訃報は、青天の霹靂のような驚きでした。
でも今思うに、二度目の車の中で私に語ってくれた彼の言葉。
それは、この度の悲しい出来事の暗示だったのかもしれない、と今思っています。
それが察知できなかった自分が、今はたまらなく哀しい。
その言葉については、次回の記事で語らせていただきます。
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ありがとうございました。
花のように泉のように