科学の発達進歩した二十世紀の現代でも、依然として迷信はある。日本のみならず、文明の先進国を以て威張つてゐる欧米諸国に於ても、迷信は下層社会のみならず、高等の階級間にも行はれてゐる。况んや文化の度今日に比して劣つてゐた奈良朝時代に神怪を信じ邪道を奉ずる者の頗る多かつたことは決して不思議とするに足らぬことである。これに就て久米博士は-仏教の盛んになることは前述の如く漸次経過し、鎌足不比等父子の信仰と宮中の帰依とに因り、奈良朝前後に至つては、抑遏られぬ勢ひなるもゝ民間では一般に仏法を信ずるといふわけにはなかなか至らない、それならば民間では神道を尊ぶかといへばさうでもない、神道も極く単純の信仰で、唯神怪を信ずる風俗が最も甚しかつた、是れは未開の時の風俗であつて世界中何方も同様なもの、それが神道とか、仏道とかを奉ずるやうになるまではなかなか年数のかゝるものである、今日文明の世でも迷信の風俗が絶えぬやうなもので、神道に塊まるとか仏道に傾くとかいふのは知識の開けた上でなければ出来ないものである、そこで人民を治むるに、一つの教法を立てゝ気長く之を誘導し、知らず、識らず我が規則に就き他の邪道に陥入らぬやうにする、奈良朝の時安藝、周防の国々では死人の魂魄を祭つて吉凶を説くなどゝいふことが大に流行したことがある、又五畿内に於ては多人数群集して怪談を説き、人の亡魂を祈り、淫詞に類するものが諸所にあつたと書いてある、又御符といふものを以て種々の呪詛をする、呪詛は我邦には神代からあつたもので大祓の祝詞にも畜仆蟲物為罪などゝいふことがあるが、この呪詛は奈良朝殊に盛んに流行し、宮中並に皇族大臣等之が為め罰せられた事が往々ある、それで当時の朝廷は是非とも仏教を盛大にして神怪を取り除けやうといふのが第一の手段であつた、後世からいふと、奈良朝は仏教を信じて仏教に溺れてゐたやうであるが、成程崇信が過ぎたこともあらうが、又一方から論ずれば、斯くまで崇信して仏教を奨励したので、実際それが為めに神怪邪道が追々なくなつたに違ひない、丁度今頃(旧七月)のことであるが、盂蘭盆会といふ祭なども奈良朝から始まつたことで、朝廷の官人が盆祭の御用を掌どることになつて居る、是れは全く仏教に依ることで、さういふことを世間に流行させて、是まで人の亡魂を祭るなどゝいふことを止めさせることにしたから、それが為めに生霊死霊の祟りがやめば呪詛の法も随つて廃止するわけである云々-と述べてゐる。
(「改版大日本裏面史」 樋口麗陽)
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