美濃屋商店〈瓶詰の古本日誌〉

呑んだくれの下郎ながら本を読めるというだけでも、古本に感謝せざるを得ない。

血色の人文字

2008年06月28日 | 血色の人文字

   血色の人文字 (その一)

  「ははあ、何か本をおさがしなすってるんで。」
  かび臭いにおいが鼻をつく。四囲にうず高く積み上げられた古雑誌とか、古辞書とかが今にもくずれ落ちんばかりで、危うく平衡を保っている。書棚らしい書棚はない。狭苦しい店の中は、平積みにされた半端本で埋めつくされており、あるじらしいむさ苦しいなりをしたはげ頭の老人は、粗末な丸いすを店先に持ち出して、そこにすわっている。首から大きながま口をつる下げ、くだものナイフでもって黄緑色の大判紙を三段階ほどの大きさに切り分け、包装紙を作っていた。
  「玄人の人には、面白おかしくもない本しか置いとかねえから。ええ、何ですと。シンピ?神秘主義の本。ああ、天主教のご本かね。あん。そうじゃないって。たたりとか、うん、悪魔、のろいとかだって。こりゃ又、随分おかしなものをさがしてなさるんだ。ほう、今時はやりになってるんですかい。おどろいたね。なにせ片田舎にいるもんだから、この御時世に置いてきぼり喰っちまうわ。はは。
   「お客さんは、お見受けしたところまだお若いけど、学生さんじゃないだろ。うん、そうかい、新聞社の、東京の、それじゃ記者さんてのかい。え、ああ成程、校正の手伝いしてるのか。ああ、判りますよ。小むずかしいことやっていなさるんだ。校正さんがたたりかね。なんとも妙な取り合わせだが。これも、はやりのお陰かい。なに、違うんか。小説の勉強してるの。校正やって喰いつないで、いつか偉い文士さんになりたいと、こう云う訳か。ふーん、感心なもんだな。ええ、文士さんじゃない、小説家だって。文士と小説家とは同じじゃないのかい。わかった、わかった。そんな顔しなさんな。同じじゃないんだろ。
   「このまちは初めてかね。ほう、休暇旅行で。結構なこった。わしらみたいになっちまうと、なんだい、もう外へも出歩かなくなっちまうんだよ。うん、そうだな、かれこれ三十年、このまちから外へ出たことないんだ。うそじゃねえよ。信じなさい。まいんち、ここでこうやって、店番さ。こんなことで喰って行けるかって。心配してくれてんのかよ。へへ。そりゃさ、お前さんのように、例えば立派なお仕事とは訳はちがうが、商いってものは、その道の呼吸ひとつなのさ。早いはなし、こんな田舎にだって、男もいれば女もいる。そこにあるだろ。今どきは奇体なエロ本が大っぴらに出回ってるから、アメちゃんの女の写真だとか、はだかをしばったり、たたいたりしている写真だとか、ちょくちょく買ってくれるおとくい様がいらっしゃるんだから。人ひとり生きて行くには困らんだけね。
   「ああ、詰まんないことしゃべっちまった。なんだっけ。ああ、そうだ。そうそう、悪魔さんの本、悪魔さんの本。そんな本、うちにあったっけかな。昔出たので『猶太ハ悪魔ナリ』なんて本はあったな。戦争中のやつでな。ふん、そう云うのじゃない。不思議な出来事や、面妖なまじないの載ってるような本だって。はてな。」
   老人は、店の中へ潜り込むようにして入って行くと、頭を横にかしげながら、古本の背文字を見て行く。滅多なことではたきをかけないから、ほこりがうっすら積もっている。黒い本は白粉をふいたようになる、白い本はすっかり黒ずんでしまう。
   とこうするうち、老人は店の一番奥まったところまで行き着くと、乱雑に放り出された本の束をゴソゴソほぐして、中からうすっぺらな半紙の仮綴の冊子を取り出して来た。茶色に褪色している上に、ひどくいたんでいるらしい。店先で二度三度、パンパンとはたくと、頁をめくり中身を改める。

コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 百年近く前の「罪と罰」翻訳本 | トップ | 血色の人文字(続) »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。

血色の人文字」カテゴリの最新記事