美濃屋商店〈瓶詰の古本日誌〉

呑んだくれの下郎ながら本を読めるというだけでも、古本に感謝せざるを得ない。

本を読み破る

2015年09月27日 | 瓶詰の古本

   本を読み破るという言葉があるが、実は、本が人を喰い破るというのが本当なのである。本に喰い破られた人間の残骸が、泥土のような本の堆積となって残るのである。本に喰い破られないためには、本を読まずにいるしかない。人間の態を外れ、古びた本さながらになってくたばるのは真平御免というのであるならば、本と絶縁するに如くはない。巨大な本の群の前で、自らをノーマン(何者でもない)と名乗り上げて危難を避け、そして、身体もろとも抜け殻となった何もののの記憶でもない影となって地上という時を埋めていくのである。
   だからいずれにしても、人を喰い破った本がそこに残っているばかりということになる。本によって覆われた地上の光景が、人の須臾存在したという幽かな名残りとなるのである。

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