美濃屋商店〈瓶詰の古本日誌〉

呑んだくれの下郎ながら本を読めるというだけでも、古本に感謝せざるを得ない。

死は帰なり(好日庵主人)

2014年01月17日 | 瓶詰の古本

   和泉国堺北の荘高須の町の珠名長者の抱妓に地獄太夫といふがあつた。容姿艶麗年十九にして其名遠近に聞えた。実は梅津某といふ者の娘だが、如意山の雪中にて山賊に奪はれ、遂に妓に売られたものださうである。一休和尚其名を聞き、或る時酔に乗じて其楼に遊んだ。一休その日は態とボロ々々の法衣(ころも)を纏ひ、乞食僧のやうな扮装(なり)をして行つたが、太夫は早くもその凡僧に非ざることを看破して之れに問ふに禅を以てした。一休それに答ふると、太夫は更に一休を試さんとして、美妓を侍らして盛んに酒肴を勧めた。一休平気で酒を飲み肴を食ひ、果ては歌ふ踊るの大騒ぎをやつた揚句、楼の欄(てすり)に寄つてしたゝかに吐瀉した。然るに不思議なことには、一休の口から吐き出した物は、楼前の池に落ちると同時に、悉く魚と化して游いだといふことである。爾来太夫は深く一休に帰依し、地獄極楽の状(さま)を問うて教示を得、又禅に参して悟道を得た。
   地獄太夫病重きに至るや、珠名の長者に対つて曰く死は帰なり、生ける者必ず滅す、妾の病癒ゆべからずとて、篤く生前の恩を謝し、最後に一休和尚に会つて、入滅の度を得度いと願つた。そこへ偶々一休は地獄太夫の死期を予知してやつて来られた。すると太夫は、強ひて沐浴して衣を改め、端座して悟道の曲を弾じ了つて歿した。辞世に曰ふ
        吾死なば焼くな埋むな野に棄てゝ
                   飢えたる犬の腹を肥やせよ
   一休命じて其通りにした。そして四十九日の後一休、珠名の長者及び兄悟助等と共に骨を収め、八木郷久米田寺に於て火葬した。女郎塚といふのがそれである。

(「名人奇人珍談逸話」 好日庵主人)

コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 古本の頁に映った顔 | トップ | 古本の心意 »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。

瓶詰の古本」カテゴリの最新記事