しかし、今少しユーリヤ・ミハイローヴナのことを述べよう。此の憐れな夫人(私は彼女に対して大層気の毒に感じて居る)は、氏の前へ来た最初から自分で決めて懸つたやうな、あんな猛烈な、突飛な手段を取らないでも、あれ程永い間彼女を牽引し魅惑してゐたやうなもの(名声その他のもの)は皆獲得することが出来たのだつた。所で、誇大されたロマンテイツクな情熱からか、それとも若い時余りに屡々希望が挫折した所為か、兎に角彼女は運命の転変と同時に、突然自分が何か特別に選ばれた人でもあるやうな、殆ど神から油を塗られた一人でもあるやうな、そして「頭の上には燃える火焔の舌が輝いて居る」やうな気になつた。此火焔の舌が災の因になつたのだつた。つまりそれはどんな婦人の頭にも似合ふやうな束髪とは違ふからであつた。しかし世の中にその理を婦人に説得する位ゐ困難なことはない。その反対に、婦人の幻影を焚きつける者は、常に成功疑ひなしである。所で、皆が争つてユーリヤ・ミハイローヴナの幻影を焚きつけようとしたのだつた。憐れな夫人は忽ちにして相撞着する種々雑多な影響に翻弄せられた。然も当人は飽まで自分の独創を信じて居たのだからお目出度い。夫人の短い滞在期の間に、狡猾な連中は皆彼女の周囲に集つて、そのお人よしを利用して自分の懐を肥した。又此の一人合点な独創の下には、どれだけの混乱が含まれて居たらう。貴族的分子も、大地主制度も、知事の権力拡張も、又民主的分子も、新しい改革や新しい主義も、自由思想や社会主義的断想も、又貴族的客間の厳正な儀式的な調子も、彼女を取巻く若者どもの居酒屋式な自堕落な態度も、悉く夫人の気に入つたのだつた。彼女は人間に「幸福を与へる」ことを、又調和すべからざるものを調和することを、と言ふよりは寧ろ、彼女自身の人格の崇拝の中にあらゆるものを統一しようと夢想して居た。
(「惡靈」 ドストイエフスキイ 古館清太郎譯)