W・ベックフォードの「ヴァテック」は、近年往昔の訳書が再刊されるなどして、千一夜物語に拮抗した幻魔怪奇の物語を容易に堪能することができるようになった。小川和夫の「異端者ヴァセック」は、戦後の昭和二十一年、新月社から英米名著叢書の一冊として上梓され、後に修訂され国書刊行会から「ヴァセック・泉のニンフ」として再度出版されている。また、順序は逆になるが、垂涎の名訳名作文庫として屹立する春陽堂世界名作文庫として、昭和七年版行されたのが矢野目源一訳による「ヴァテック」である。これも戦後に生田耕作が訳を補って牧神社から出版された。その後、角川文庫も「呪いの王 バテク王物語」を送り込み、古本を漁る遑もなく新刊本に目移りする有様であった。これが昭和の四十年代末から五十年代にかけてのこと、記憶が薄れつつあり定かでないが、当時怪奇幻妖の文学が内外問わずその声価を高め、次々に再発見、再評価の波がやってきていたのではなかったか。
英語、仏語を解せぬくせに、ゴシックだ、アラビアンナイトだと崇め奉る姿は、碩学人士にとって笑止千万、さぞ片腹痛く映ろうが、だからといって翻訳本を取り上げてしまったら、すべての文学は荒廃に及び、いずれ精神の荒廃へと帰着してしまうのであって、翻訳物の古本は世界に在る精神の総体を支えているといってもいい。と、別にそこまで力む必要などなく、翻訳者と出版社に対する心からの感謝を忘れていませんと言いたいだけである。出会い頭に古本と遭遇し、それまでさほど騒がれることなく永く埋もれていた大傑作を人知れず発見したとする喜びは、小人生には稀な歓喜と呼んで決して言い過ぎではない。よくぞ訳しておいてくれました、よくぞ印刷しておいてくれましたと遠く時代を隔てたこちら側から、感謝の言葉を送らずにはおれないのである。
それはそれとして、今ではこの「ヴァテック」、幾種類でも手に入れることができる状況で、かの矢野目源一の先駆訳も、世界名作文庫の復刻版たる『昭和初期世界名作翻訳全集』の一巻として、ほとんど原型そのままの形で享受することができるのである。小さな文庫本に収まってしまう異国の夜話が、何故これほど日本の読者を惹き付けるのか審らかには分からないが、とにかくもありがたいことである。
ただし、古本として世にあることはかねて承知していたが、世界名作文庫にしろ角川文庫にしろ、均一台の文庫の群れに紛れ込んだ「ヴァテック」を目撃した、なんてことは未だにない。
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