美濃屋商店〈瓶詰の古本日誌〉

呑んだくれの下郎ながら本を読めるというだけでも、古本に感謝せざるを得ない。

転た身震ひせずには居られない(友近美晴)

2012年12月30日 | 瓶詰の古本

将も兵も自我自慾の凝り固りとなり芥川の言ひ分ぢやないが全く「人間獣の一疋」に帰つてしまつてゐるぢやないか。見給へ、平常なら統帥権と云ふお陰で漸く部下を統御して来てゐた将軍が統帥権の効き目が薄くなつて来ると彼自身の劣等人格を暴露して真先きに獣心を発揮するものだから一朝にして部下に見はなされてしまつて居る。これと云ふのも明治維新の志士はただ単に血気のあまり国事に奔走してゐたのではなくて松蔭にしろ西郷にしろ皆、聖学を深く修めて居たればこそ、あの尊敬すべき行動に出でられたのだと云ふことに気付かないでゐるのだ。皆、明治以来の国民教育が方向を踏み違へて来た結果であり吾々個人がそう云ふ修養を怠つて来たからではないか。僕自身少尉任官以来何をやつて来たかを省みると実に冷汗三斗の思ひがある。又科学方面のことにしてもどうだ、日露戦争以来「大和魂のある日本人」の強さを伝説的に、教へられて来たが其の神秘的強さも手榴弾一ツで大砲や戦車に向つて行つては一溜りもなく負けてしもふ事実に就いてはヒタ隠しに隠して教へられなかつた。此の日本人の非科学性はレイテでもダバオでも到る所で敗け戦として現はれてゐるぢやないか。あれを想ひこれを想ふと転た身震ひせずには居られない。よくもあれで太平洋戦争など出来たものだと思ふ、みんな吾々日本人の徳器の成就が足らず智能の啓発が足らないのに気付かなかつた罪だよ。

(「軍参謀長の手記」 友近美晴)

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