美濃屋商店〈瓶詰の古本日誌〉

呑んだくれの下郎ながら本を読めるというだけでも、古本に感謝せざるを得ない。

癒え難い熱病の起源

2013年08月22日 | 瓶詰の古本

   無意識からの声、集合外からの息吹きを予感的にのみ予想する不自由。集合Aは集合Aを元とする集合Bをその元とすることはできるのだろうか。集合を精妙に特性化して、自らを元とする上位の唯一限定的な集合を予想してそこへ跳躍させる(下位集合の特定上位集合への転成)という手順は定義付け可能なことなのだろうか。
   人の意識は自我を自我として対象化し、更に自我を対象化している渦中の自我を対象化する、より上位の自我へと無限の跳躍を続け得るようにも仕組まれている。無論だからといって、跳躍し包摂的な対象化を幾度繰返したところで、自我の対象化を行っている(常に)その次にある自我に終着することは論理的にあり得ない。仮に集合に上位の集合への跳躍の手順が賦与されるとしても、外は内となり、更にその外へ跳躍したところでは新たな内を見出すとともに、予想される次の外へと無謬性の嫌疑はすり抜けて行く。
   この世界が合理的か非合理的かを呟くドストエフスキー的諸人物を現実へ召喚させたいと夢想する癒え難い熱病の起源はどこから発しているものだろうか。

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