『純な人には一切が純だ』―大衆は然う言ふ。私はしかし君等に言ふ、豚には一切が豚だ!と。
さればこそ、熱狂者や、心臓までが垂れ下がつてゐる「頭脳うな垂れ党」は説法する、『世界そのものは穢い怪物だ』と。
何となれば、これ等凡ての人はその心が不潔なのだ、殊にしかし、世界をその背後から見るのでないかぎり決して平和も安心も得られない徒輩(やから)が然うなのだ―あの後世界信者達が!
これは変に聞こえるかもしれぬが、これを彼等の面前に言ふ、世界は、それが臀持ちである点で人間並だ―それだけは嘘ではない!
世界には多くの汚穢がある。それだけは嘘ではない!しかし、さればといつて世界はなかなか以て穢い怪物ではないのだ!
世界の多くのものが悪臭を放つてゐるところに智慧が潜んでゐる。嫌厭そのものが翼を作り泉を予知する力を作るのだ!
最善のものにはやはり厭はしいものが喰つついてゐる。そして最善のものが超克さるべき或物なのだ!―
おおわが兄弟、多くの汚穢が世界に存するところ、そこには多くの智慧が潜んでゐる!―
(「ツァラトゥストラー」 ニーチェ 登張竹風訳)
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