愛は古人が恵なりと解いてゐる、又憐なりとも解いてゐる。少しでも他の幸福を増してやりたいといふのが恵即ち愛であり、又相並んで彼此同じく幸福ならんとするのが憐即ち愛である。いづれも人の心のやさしい、和やかな、美はしい働である。子産を孔子は恵人と云ひ、古の遺愛なりと云つて居らるゝ。愛・恵のかゝはりを知るに足る。古い諺に、生相憐み、死相損(あひす)つ、といふのがある。生きてゐる同士、人間の離れがたなの情、即ち愛憐のすがたを語つてゐるのである。
恵むは「めぐし」とすること、めぐしは愛らしいとすることだ。東北の方言で「めんこ童衆」などいふ「めんこ」は疑ひも無く「めぐし」の転で、邦語にも恵と愛との一にして二ならざるを思はしめる。しかも亦「めぐし」は「むごし」と同じで、「人も無き古りにし里にある人をめぐしや君が恋に死なせむ」のめぐしは「惨し」であり、惨しは「目苦し」であり、「あはれや」である。「愛する」「愛らし」などゝ「めぐし」「惨し」などいふ語と相通ずると云はゞ、人は僻説強弁とも云ふべきか知らないが、愛の極まるときは、心きはまり逼(せま)りて正目(まさめ)に見て居るにも堪へぬやうになるものである。そこが「惨」であり、「目ぐし」であり、何のふしぎもないことである。愛を「かなし」といひ、「いとほしい兒」を「悲し兒」といふ類も、愛らしくて愛らしくて堪まらぬものを見るときは、心狭まりて涙さへ催さるゝやうになる、そこを「悲し」とは云ふこと誰も知つたことである。
大慈大悲といひ、悲願悲心などいふ「悲」は、皆「慈」の強くて堪(たま)りかぬるところを云ふのである。慈の「いつくしむ」と悲の「かなしむ」とは、一応は異なれども、深く立入り考ふれば、同じところがあるのである。「あはれ」といふのも、至極の美はしくも好もしきものに臨みて、「哀れ」といふべくは無きやうなれど、感歎の極には涙さへ浮ぶに至るところがある。そこを「あはれ」といふのである。餓ゑて死せんとする如き人に臨みて、あはれむのと、吾が愛する妻子を憐れむのと、同じく「あはれ」と云うたのでは、釣合はぬやうだが、よくよく観ると、心の奥のすがたには同じところがあるのである。皆是れ愛である。
恵も、めぐむも、めぐしも、惨しも、憐も、いとほしも、かなしも、悲も、あはれも、慈も、いつくしむも、あはれむも、皆是れ愛である。そして愛は「うつくしむ」であり、「うつくし」であり、「美」なのである。我邦の言葉は斯様(かやう)に愛を語つてゐる。人の此心の働きのさまざまの中で、愛が最も優美で霊妙で幽遠なものであることは言ふまでもない。
(『愛』 幸田露伴)