子供のうちには、誰でもがよく罪もない狗や猫を打つたり、虫けらを酷い目に会はせたりしたがるものですが、大きくなつて一家の家長となつた後にも、口論でもすると、ふた言目にはすぐ手出しをして、女房をひつ叩く男があります。新しい思想や、婦人運動などにも相当諒解をもつてゐるらしく思はれる間にも、かうした人達を見受けるのはどういふものでせう。中央アフリカのUgandaでは、女房一人は四頭の種牛と弾薬一箱と縫針五本とで購はれ、また南アフリカのKafir 族の婦人は、身分の高下によつて、ニ頭から十頭までの牝牛と交換されるさうです。男性の女性に対する道徳が、さうした野蛮人と文明人との間に、大した逕庭がありさうにも思はれないのは悲しむべき事だと思ひます。
アメリカのある州に、女房をひつぱたいたので、法廷に引出された哀れな亭主がありました。
事実調べがすむと、判事は即決で判決の言ひ渡しをしました。
「被告を科料一弗十仙に処す。」
判決を聞いてゐた被告は、むつくりと頭をもち上げました。
「一弗はわかつてゐます。しかし十仙の端金は何のための科料なんでございます。」
「十仙か。」判事は十仙銀貨のやうに小さな無表情な顔をして答へました。「それは州で決められた娯楽税だ。」
何といふ男か、名前は聞き洩しましたが、この亭主に十仙の娯楽税を追徴したのは、さすがに今ダニエルだといつていいほどの名判事だと思ひます。実際女房を打つ亭主は、十人が十人自分を娯ませるために仕てゐるのですから。
(「太陽は草の香がする」 薄田泣菫)