美濃屋商店〈瓶詰の古本日誌〉

呑んだくれの下郎ながら本を読めるというだけでも、古本に感謝せざるを得ない。

昔の英雄豪傑は金銭問題に細心の注意を払っていた(竹越與三郎)

2020年09月23日 | 瓶詰の古本

〔記者〕 増田長盛、長束正家――かう云ふ人が秀吉の大蔵大臣だつたと云ひますね。
〔先生〕 さうです。 だから、秀吉は非常な驕りを極めたやうに云はれるが、実は金をうまく散じて人心を収攬した。 金を生かして使つたのです。 が、一方金を集める事も巧みだつた。
〔記者〕 所謂太閤検地をやつて税金を取り立てたのも其の一つでせう?
〔先生〕 さう。 久しく乱れてゐた税制を確立したわけです。 同時に金銀の採掘を、盛んにやつた。 尤も、これは当時の英雄が皆心掛けた事で、謙信は佐渡の金山からドンドン砂金をとつてゐたし、信玄も夙に此の事に目を付けて砂金を採集し、ホルトガル式鋳造の方法を採用してゐた。 税制も、甲斐独特の大切、小切と云ふ税制をしいて、うまくやつてゐた。 勢力のある大名は皆この心掛があつたのです。 そこへ行くと佐久間信盛などは、武勇と云ふやうな事ばかりに懸命なので、結局当時の落伍者になつて了つた。
〔記者〕 信長はケチだつたと云ひますが。
〔先生〕 ケチと云ふ点では家康もケチだつたが、ケチと云ふよりは金の値打ちをよく知つてゐたのだね。 或る時、山城の八幡宮が荒廃したので、樋をかけ替へると云ふ時、信長は従来の木造の樋を見て、木造は損だ、鋳物で造つた方が長く持つと云ふので、今までは大工に頼んでゐたのを、鋳物屋に命じて六間の鋳物樋を造らせた。 織田家は父の代から富裕だつたのだが、信長は此の家に生れても、かく迄金銭に細かつた。 だから、金銭に困つたと云ふやうな事はなかつた。
〔記者〕 さう云へば、長篠の合戦に強敵武田に痛撃を加へ得たのも、信長には三千挺の鉄砲があつたからだと云ひます。 金があつたから、鉄砲の準備が出来たのですな。
〔先生〕 たしかにさうです。 信玄以来の強国甲州勢を破つたのは、一に信長に貯財があつたからで、決してたゞ武勇智略ばかりではなかつたのです。

(「三叉小品」 竹越與三郎)

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