美濃屋商店〈瓶詰の古本日誌〉

呑んだくれの下郎ながら本を読めるというだけでも、古本に感謝せざるを得ない。

偽書物の話(百五十四)

2018年08月15日 | 偽書物の話

   上長の下す品隲を乞う局面で、切羽詰った人間の動揺が恥がましい露頭を舌の根に晒している。水鶏氏は水鶏氏で、簡単に堰を割って奇矯の言辞を放出する私の攪乱に、黒い本へ病みついた温気を感じ取ってか、たじろぐ本意を庇い切れない。
   「いやいや、まずもってそんな心配をする必要があるのですか。仮にあなたにけったいな節々があるとすれば、そのあなたに罔両たる問いを投げている私は、何十倍もけったいな境涯に甘んじていることになってしまいます。何をしてか、そんな……。」
   狂人の真似をしてみたいと望むのは狂人ならではの素懐である、と教える鮮やかな箴言は巷間知れ渡っていて、誰彼なく通用し得る訓諭なのに、常に中庸を外れない要心や冷めた客観的観察眼がほとんどの人に備わっていないから、ややもすると知らぬ間に知覚の底が抜け落ち、遂には回復不能なまでに理性が崩壊する危難に見舞われるのである。好意ある赤の他人が声をかけて引き止めてくれなければ、私は先で待つ未来の枷に嵌り、偽書物のもう一つの自心であろう絵頁の似姿に寄り添うしかなくなる。
   「遠慮して言い淀んでいると勘違いされては困ります。あなたが尋常普通の精神にあると事改めて明言するのは、旅役者が大見得を切る田舎芝居と同断で、臭気紛々としてたまったものでない。普通至極で都合の悪いことでもありますか、何一つないでしょう。」

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