美濃屋商店〈瓶詰の古本日誌〉

呑んだくれの下郎ながら本を読めるというだけでも、古本に感謝せざるを得ない。

曇った光

2014年08月31日 | 瓶詰の古本

   瀬盗りのためには、ある程度の目利きの術や知識の蓄積が必要と思われるかもしれないが、そんな目利きの修練なぞは、瀬盗りの浅ましさをいっそう際立たせるだけのものでしかあるまい。邪剣をいくら磨いたところで、磨けば磨くほど濁りの塵にまみれた曇った光しか放たなくなる。その光は、あるがままに納まったなまくら刀の鋼の光に遠く及ばない。
   ましてや、新古書屋や巷の古書展に入り混じり、人に先んじて金目のものを漁ろうと血眼になっている瀬盗り以前の徘徊者がいることは、一定割合で社会に淀む浅ましさの病弊指数を如実に露わにしているだけなのだろうが、そして、そんな陰鬱が今や古本界隈に付き物になりつつあるということは重々承知していても、現実として電子端末を用いて値踏みするあからさまに人も無げなその面貌には思わず吐き気を催さざるを得ない。相場やカジノといった世界にも受け入れられない不如意な輩が、ネット商売を目論んで古本にまで貪猥の手を伸ばすサマザマは、大袈裟に言うならば、この先文字に書かれるであろう世界の行末を予告しているかのようだ。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする