美濃屋商店〈瓶詰の古本日誌〉

呑んだくれの下郎ながら本を読めるというだけでも、古本に感謝せざるを得ない。

形あるものとは何ものか

2014年08月03日 | 瓶詰の古本

   眼球の中ほどに、自分の影法師がぼんやりうずくまった形をして映し出される。その周りには暗闇の吐く息があるばかりだ。鬼となる思いによって自らの死を喫する者たちがいる。そのことが、意味を明かさぬ自己という存在をしてわずかながら、どこかある方角へ向けて目を上げさせるのである。かすれた声を絞って、分別の届かぬ彼方へ咆吼させるのである。
   いっそ具象、個別のことなどはことごとく滅びなければならないと願う者がいる。それも一瞬にして滅びなければならないと空しく願う者は言う。常軌の方途を見失った双腕によって得体の知れぬ豊穣と法悦をむさぼろうとする心念は、あくまで土中深くに埋めなければならない。土中に埋めたならば、何十万年、何百万年の果てに至るとも地上へ現われることのないように始末しなければならない、と。
   それは、具象、個別な事物が持つ絶対的実在性への嫉妬から生れた願いではない。むしろ、強い憧憬の心から思わず吐き出されたもの、夢幻を浮遊する余りに繊弱な魂が、論破することのできない実在性の証しに対して抱く恋情から呻き出された錯乱にも似た願いであるのだろう。
   ただ、それにしたところで、実在性の天地を外れて震撼する魂に存在を委ねきった者たちは、具象、個別な事物という実数の証しからは決して生まれ得ない言葉を捜し探しては、それらを書き遺して行くに違いない。

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