芳郎生
◎彼等の処世哲学
一口に木賃宿、又は木賃ホテルなどと侮りて、人類生活者中の、ドン底生活とされてゐるが、止宿する人々は、必ずしも第三者が傍観する程のドン底生活とは心得てゐない。
彼等には彼等の処世哲学がある。先づ彼等をして、吐かしてみよ――。
『何んだ人間が金を儲けて、酒を呑み、甘味いものを喰つて、女を囲ふ事が最上の意義であるならば、我々の方は、遥かに脱俗してゐるのだ、――
苦しい生活を、世間体なぞと胡麻化して、借金で首の廻らぬ癖をしながら、自働車に乗り、女房をそれ舞踏だ、夜会だと、跳ねくり廻はさして、遂に不義をされてから青くなつてゐる◯持ち達の量見が分らない苦しくなれば神様だ、仏樣だと騒いでゐるが、安心して生活をしてゐるものがあるか其処へ行けば、俺達には、常に不安がないのだ、金のある時には、うまい物を喰ひ女も買ふ――なければ喰はず呑まずだ、今日と云ふ日はあるが、明日だとか、世間だと云ふものがないのだから誰に気兼ねだ見栄がない――何時路頭で倒れたとて、警察がちやんと保護して呉れてゐる。
死ねば区役所が引取つて焼いて呉れる、その上に死亡広告まで新聞に出して呉れ、例へば、年齢何歳位、身の丈何尺何寸、特別何々と――こんな世痴辛い世の中に、あくせくして寿命を縮めてまでも世間だの儲けたいのと言つてゐる奴の量見が分らない、三井や、三菱が如何程金満家でも死ぬ時にお金を持つて行けるじやなしさ、』
と当るべからざる気焔を吐いてゐる、併し此は自暴自棄の気焔ではない、彼等は真からさう考へてゐる、故に木賃宿を訪れてみれば分るが、着替への袢纏一枚持つてゐない、彼等の言ふ通り今日あつても、明日はないと云ふだけに一日の労働に依つて得た賃銀はその晩の中に、縄のれんで、呑む食ふか、又はモクチンホテルで開帳される賭博に依つて取られて終ふ。
(「黒白 第八十三号」)