か ら け ん


ずっと走り続けてきました。一休みしてまわりを見ます。
そしてまた走ります。

面白くない話題でよく笑う奴は気違いだ。

2013年05月27日 | 日常

そんな低能低質のクズには、昔はやった言葉を差し上げる。「デラシネ」。根なし草のように付和雷同し、自分の意見を持たず寄らば大樹の人生感でその短い一生を終る。低質な塩基配列も種の保存の本能はあるみたいで必ず子だくさんだ。どんどん生んでどんどん死ぬ。

歴史だ文化だ伝統だ、と、それらと縁遠い奴らが叫びだしたときその国の文化は下品になる。

福岡県のある大学は校舎内にエスカレーターがある。実名を書かなくなっただけ僕は丸くなった。スポーツバカがごろごろし、中学生でも解く因数分解ができない。これではある程度以上の深い話はできない。冗談とか横にそれた話は実によく覚えている。

本当に採点したらこいつらは絶対卒業できない。高校以下ならまだ我慢する。修猶館高校の数学の中間考査の問題をもらった。僕はよく分からなかった。このあほたちは中学以下だ。

施設の充実度とその大学の偏差値は反比例する。学長室の豪華さとその大学の偏差値は反比例する。

先生方はなかなか残酷だ。学生が絶対に理解していないレベルの試験をする。レベルを下げると自分までバカにされそうで怖いのだ。この恐怖感は彼らが描くあほ論文によく現れる。とにかく難解だ。僕は1/5程度しかわからない。分っても価値のないことが多い。そしていつも威張っている。まるで南朝鮮の三流大学の偽教授どもと同じだ。

東大は全く正反対だった。ネクタイをした人はほとんどいないし、スリッパで授業をしたり金も持たず飯をおごると言って人を誘ったりする。汚い研究室、雑然とした机、しかしここがポイントだ。肝心の本がある。一定の水準に到達するためには必ず必要な定番の書物というのがある。日常生活ではポケットが裏返しになっていたり服装にむとんちゃくな人が多いが、書架にポイントを突く書物が欠けていることはない。

だから東大出版会の書物にははずれがないのだ。塩基配列が狂った偏狭な人には理解できないだろう。まあ、とにかく何でもいいから本物に触れてみろ。日本の大学予算の半分を東大一校で使っている。しかし間違っても校内にエスカレーターは設置しない。

本物は威張らない、優しい、そして鷹揚だ。バカほど意味もなく盲信して排外的で、へぼい大学ほど、そこにはありもしない歴史だ文化だ伝統だと絶叫する。

とはいうものの、天は二物を与えずとはよく言ったもので、僕はそう言いつつそこの学生さんが好きだ。学食で飯を食っていると僕を呼ぶのでなんかと思うと、自分らと一緒に食おうという。僕が、バカと一緒は好かん、というと、それもそうだ、と返す。なかなか面白い。

一瞬質問かと思った僕がバカだった。



画像は筑後川下流に6,7月にしか食べられない「えつ料理」を食べに行った時のモノです。ほんの6時間前に撮りました。今日は豊漁だったそうで「洗い」をずいぶんサービスしてもらいました。弘法大師の伝説など検索されてみるのも面白いかと思います。


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