街はいろんな原因で壊れていく。共産党が見栄を張ってやたらのっぽなビルを建てるとき痩西湖で漢詩を読むことはできなくなる。外資が従順さと低賃金を求めて日本の地方にある工業団地のようなそっけない工場を立てるとき街は壊れる。
でももっとも破壊力のある者は日本の無教養な年金旅行者どもだ。ロビーで大声を出す。犬を呼ぶようにガイドを呼ぶ。不似合いな自身の服装に気づいてもいない。そして究極はキンキンギラギラのホテルを好み少女を躍らせて泥酔するロリコン爺たちめ。
品も何もありゃしない。
絶対ではないが比較的ましなホテルがある。フランスの優柔不断シラク前大統領も泊まった。胡錦涛主席や温家宝首相なども宿泊した。揚州迎賓館。痩西湖に近い。痩西湖は西湖ほど幅が広くないのでこの名がある。
朝ゆっくり歩いていると通学途中の小学生がひやかした。ガイドの女性は猛然と反撃し小学生を追っ払った。日本語を話すと日本人のような気がしてしまうがやっぱり中国人だ。このガイドさんとは仲良くなって、少しだけどビジネスを越えて心が通った気がしている。僕の独りよがりかもしれない。
彼女は僕の中国語の勉強にと本を買ってくれた。広い講堂みたいなところにつーんと本のにおいがした。書肆である。綺麗なところもあったがあえて安いからとここを紹介した。
悪いが僕は中国語を勉強する気はない。高校の時習った漢文を書いて韓国語の読みをつければ十分だ。時間になったのでガイドを帰し僕はひろばに人だかりがしているところに行ってみた。日本のチマキの3倍ぐらいある大きなチマキを食べた。
人だかりは移動サーカスだった。ついでに移動遊園地。チケットを買うにもチマキを買うにも悠然たる漢詩の世界はない。足が浮きそうになって後ろから手を伸ばし、なんか知らないチケットを買った。
ティーカップがぐるぐる回る奴だったがギアを見て乗るのをやめた。カップに対ししてギアが小さい。今にやるぞ。ま、知ったことではないが。
夜になって人が集まってきた。何があるのか聞いても要領を得ない。ただ、二階に飾られたクジャクの模型が羽根を開いたり閉じたりするだけだった。人々は心底楽しそうだった。
僕はこれに何を言うことができよう。僕らは次から次にくる光や音の刺激に神経が麻痺しているのかもしれない。ホテルに帰った僕は15分に一回、思い出したように上がる花火と歓声に、遠い日の花火を思い出した。