梅屋は、頭山満、犬養毅、山田純三郎、宮崎滔天らアジア主義者と交友が深い。このアジア主義も最初は共同あるいは合邦を中心に据えた比較的穏やかなものだった。しかし、隣国との戦争を経て拡大主義により各地に日の丸を立てていくことにすりかわり、詰まるところ大東亜共栄圏の思想となり即座に瓦解する。
そのアジア主義が、いまだ周辺諸国への蔑視や優越感に支えられていないころ、太陽の帝国はきわめて懐の深い国家であることを喧伝した。
孫文はやがて敵になる。妻、宗慶齢は絶世の美人だ。中華人民共和国の副主席になる。首席はもちろん毛沢東。
敵の敵は味方か。清朝打倒の試みは何度も行われ、裏切り、罠、暗殺が続き孫文は日本に亡命する。
その亡命を受け入れたのを指して懐の深さと思うのだ。大アジア主義は必ず各地の民族主義と衝突する。たとえば孫文を助ければ中国の代表になる可能性が強かった。実際そうなった。彼は急死するがその地位をかすめ取った蒋介石は太陽の帝国と戦うことになる。孫文は中国共産党におよばずソビエトにも資金や軍の訓練を頼んでいる。孫文にとっては助けになるものは何でもよかっただけだ。
帝国は夢中になって敵の頭目を育てた。
孫文にとっては、日本は都合のよい庇護者の一人にすぎない。帝国は火中の栗を庇護してしまう。
次第に先鋭化する大アジア主義は極右勢力として認知されて行く。跳ね上りがいつ孫文の身を狙うかもしれない。
このとき梅屋と協力して彼の身をかばうのは、なんと最右翼の玄洋社の頭山満だった。彼はよく分からない男で、韓国の金玉均、中国の蒋介石、インドのラス・ビハリ・ボース、ベトナムのファン・ボイ・チャウなどを助けている。
頭山の仲間に進藤喜平太がいる。進藤の息子は戦後、福岡市長をした。ゴロツキを雇って住民を脅すやり方をして当選した。
宮崎 滔天(みやざき とうてん)も頭山と親交が深い。その宮崎も頭山のカリスマに酔った一人だ。熊本県荒尾市(当時荒尾村)の自宅に孫文をかくまったことがある。
孫文は『博愛行仁』という書を残している。孫文は宮崎と筆談で長いこと話しあったという。二人は東京に行き中国同盟会を結成する。
梅屋庄吉はカネを出し、玄洋社、宮崎 滔天は身をかくまってやった。孫文は帰国し中国の初代大統領になる。
外資法違反だなんだとめんどくさいこと言わぬのがいい。
梅屋庄吉と孫文の最後の会話だ。庄吉は言った、「お前いくら欲しいのか、ほう、一兆円。そら持って行け。」(現在の貨幣価値です)
写真は私と宮崎 滔天の自宅です