か ら け ん


ずっと走り続けてきました。一休みしてまわりを見ます。
そしてまた走ります。

母は詫びた。こんなに弱い子に産んですみません。

2014年12月27日 | 社会・経済

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佐藤トネさん(さとう・とね=土呂久鉱山公害被害者の会会長)が2日、肺炎で死去、92歳。葬儀は4日に執り行った。

 宮崎県高千穂町にあった旧土呂久鉱山で、戦前から製造されていた亜ヒ酸による慢性ヒ素中毒症の認定患者。1983年に被害者の会3代目会長に就任し、公害闘争の先頭に立った。84年、住友金属鉱山を相手にした損害賠償訴訟の一審で勝訴。90年に最高裁の勧告に基づいて和解した。慢性ヒ素中毒症の認定患者は10月末現在、191人(生存者は47人)。

                                    2014年11月4日朝日新聞デジタル

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土呂久砒素公害事件。このごろは砒素も市民権を得て、和歌山カレー事件や夫愛人殺しに多用されるようになった。戦前から採掘し出したこの鉱山は砒素だけが目的ではなかったが、砒素の粉塵を近隣の山村にばら撒いた。

悪いことにここが海軍鉱山となると、付近のきこりや農民は同時に鉱夫となり、おそれ多くも帝国海軍に反抗することは出来ない。そのまま戦後を迎える。

そうして患者は増え続けた。1967年まで創業し、住民には50万円の口止め料でお茶を濁した会社も消えた。

読者よ。自分でなかったからよかったと思っているだろ。そういう奴はかならず絶望的被害者になる。連帯共闘しないやつは企業の捨石になる。因果応報であり天誅である。

1070年代までは公害反対といえば赤のすることであり市民運動が芽吹き始めた頃でありまだ力を持ってなかった。

今なぜ環境や資源やエネルギーをおおっぴらに論じられると思う。考えろ。おまいらがアカやプロ市民という人達の努力の結晶だ。それがなければ中国のようにPM2.5や砒素や重金属汚染の列島になっていた。

佐藤さんは何回も流産を重ね、やっと生まれた子もすぐ死んだ。会社は因果関係を否定した。ゴマすり学者を動員し、不潔な生活環境、遺伝、風土病説を主張した。

さすがに隠し消れないと見るや、はした金を渡し、脅し、消えた。

佐藤さんは夫に言った。「弱い子を産んですみません」病院からの帰り道だった。6キロの山道の遠さを理解する人は少なくなった。背中に死んだ子をおんぶして。

佐藤さんは気持ちを表に出す人ではなかったが、悔しかっただろう。

僕は恥ずかしい。僕の戦いは十分ではない。雪が消えたら墓前に僕の人生を謝りに行く。そして、もう少しだけどまじめに生きようと思った。

住友はそんな会社じゃなかった。四坂島では最大限の努力をし財閥の中ではいち早く地域との共存も社是として掲げたところで、そのように実践した。

地方のチンピラ企業が殺人企業であることまでは気がつかなかったのか。


八幡市民は、煙突からの煙を「七色の煙、われらが誇り」と歌い市歌にした。だが恩恵ももたらしたので、少しの公害は認めようというのが自民党の流れであり、きれいな空気を取り戻そうとすると「赤」とされヤクザが家に来た。

そんな中で戦ったからこそ現代がある。だから、恥ずかしさを知らす環境保護を言うな。

 

 

 

 

 

 


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