昭和のモノを集めている。なんだろうね。この気持ち。よくよく思い出すと、さほど楽しくもなかった気がしてくる。
だけど昭和のデッドストックを見つけると、モノの向こうに小学生のぼくがいる。汚いズックをはいて、「ふせ」があたったズボンをはいて、転んでケガをして、・・・。
アルマイトの弁当箱。
矢車弁当箱とある。図柄は矢車草。心がこもっていると思うのは僕の錯覚か。
昭和。路地には、よその子でも悪いことをすると叱ってくれるおじさんがいた。僕はそれを経験し判断力をつけた。僕は成績抜群の「できる子」だったが、学校の道徳の時間で学んだことはない。
男子用。一回り大きい。
昭和のぼくらはこのヨットを見て夢を広げた。海の男になった自分を考えた。ヤングスクール弁当箱。貧しい時代。バナナが入っているのは遠足のときだけ。バランとか金魚(小さな醤油さし)。そんなものまで貴重で当然使いまわし。
家に帰ると強いおやじがいた。その背中を見て僕もこんな大人になろうと思った。
地域にはゴロツキもいるしヤクザもいた。子供どころか大の大人がけんかしていた。少年は大人の暴力を見ておののいた。
だが今と違う点。一つ上げる。地域に自律性があった。わが子中心利己主義ではなく、社会正義を教えるおやじはそこらに大勢いた。もちろんチンピラも多くいたが子供はそれを見て、肌でどんな大人になればよいかを学んだ。
一方、現在の我が家。今家族のだれも僕の言うことを聞かない。
僕は庭の掃除は必要ないというのだ。だってこれ。
散った花びらがあるから風情が出るというもんだ。
分からないやつばかりなので、一計を案じる。
それは落とし穴。深く掘った。僕は庭から悲鳴がするのを待った。
計画は失敗し悲惨な報復が来た。
猫にも笑われた。