か ら け ん


ずっと走り続けてきました。一休みしてまわりを見ます。
そしてまた走ります。

Affaire Dreyfus

2012年02月01日 | 西洋歴史
" Ma protestation enflammee n'est que le cri de mon âme. Qu'on ose donc me traduire en cour d'assises et que l'enquête ait lieu au grand jour! J'attends. 私の抗議に熱が入りすぎているとしたら、それは私の魂の叫びだからです。私を重罪院で裁く勇気をもたれ、証人尋問が白日の下で行われますように! 私は待っています。 "(下記に引用もとを記す)

 L'Aurore 紙の一面に「J'Accuse...! 私は弾劾する!」という大見出しで掲載されたエミールゾラの一文である。当時作家として不動の地位を築いていたゾラは何故、見ず知らずの一介の大尉のために作家生命をかけたのか。

右に左に熱く揺れたフランスがもっともぶざまで醜態をさらしたのはこの事件である。フランス国民は懲りていなかった。ナポレオン気取りのへぼ軍人を対独の急先鋒にまつりあげたのは右翼だった。なんのことはないブーランジエ本人は不倫の果てに自殺するという醜態をさらした。すると国民の矛先はドイツからユダヤ人に変わった。

アフリカでもイギリスと衝突寸前である。(ファショダ事件)ドイツには工業地帯をとられ国内は極度のインフレにあえいでいた。金融資本は人の弱みに付け込んで私腹をこやしている。それはユダヤ人だ。分かりやすい短落だ。

熱狂する世論には最高のいけにえが用意された。ユダヤ人でドイツのスパイ。ドレフュス参謀本部付砲兵大尉。フランス陸軍情報部は状況証拠から彼を逮捕する。証拠とされた書類の筆跡は彼のものとはほど遠かった。

彼にまったく問題がなかったわけではない。周囲とうちとけない彼の性格は疑念を持たれる可能性があった。高潔で誠実な人柄が彼の無罪を確信させた、と書くこともできるが両者が混在しているのが人間だろう。

裁判は南米の悪魔島での無期懲役を命ずる。映画「パピヨン」の舞台となる孤島だ。ここで絶望しない彼の勇気をたたえたい。周囲の人たちの緻密で懸命な証拠収集によって彼の冤罪が明白となる日が来た。

低質な権力というのはいつもメンツしか頭にない。あきらかに別人が犯人だと分かっても彼の刑は10年に減刑されただけだった。苦労の末真犯人が別にいるという証拠を見つけ出したフランス情報部の将校は左遷される。また犯人にはわざわざ無罪であるという宣言まで出された。

フランスの世論は二分され左右は激突した。冒頭のゾラの叫びに対し重罪院はゾラに有罪判決を下す。しかしこのような猿芝居をいくらつづけても、権力があがけばあがくほど偏狭な愛国者に有利な材料は出なかった。

後日ゾラとドレフュスは会う。不幸なことにその会合でドレフュスは狙撃され負傷する。僕がすごい軍人魂だと思うのは、ドレフュスはその後軍に戻り第一次大戦を戦うことだ。

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Posted at 2011/12/22 12:03:53

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