2006年8月25日に福岡市東区の海の中道大橋で、飲酒運転をしていた当時福岡市職員の男性の乗用車に、市内在住の会社員の乗用車が追突されて博多湾に転落し、会社員の車に同乗していた3児が死亡した事故。
危険運転致死傷罪などに問われ
た元同市職員今林大(ふとし)被告(27)の上告審で、最高裁第3小法廷(寺田逸郎裁判長)は
「アルコールの影響による前方不注意で、危険を的確に把握して対処ができない状態も危険
運転に当たる」との初判断を示し、同罪の成立を認めて被告の上告を棄却する決定をした。
決定は10月31日付。業務上過失致死傷罪などにとどまるとして懲役7年6月とした1審判決
を破棄し、懲役20年とした2審・福岡高裁判決が確定する。
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一審で危険運転致死罪の適用をためらったのはなぜだろう。何事も初適用は勇気のいるものだが、罪刑法定主義の原則からして適用なき場合7年程度が限界となる。包丁で赤ちゃんを殺せば酔っ払っていようといまいと必ず死刑になる。
一審で7年6月としたのには大きな疑問を持つ。追突された方のお母さんは自ら海に飛び込み赤ちゃんを救いあげお父さんは人工呼吸を施していたのに犯人今林は傍観していた。前方の車を刺すだけのための大きなバンパーをつけて高速で飛ばすのは殺意があるからだ。
2審で良識的な判決が出てまあ納得した。未決拘留を刑期に含むのが通常であるからあと15年ぐらいになる。多分前科はないだろうから仮釈放の恩恵を受けるだろう。すると後7~8年でシャバにでてくるな。
3人の赤ちゃんを殺してもコンビニ強盗に入ろうとも受ける罰は同じか。
我々は悪いことをしたら法によって裁かれると思っている。とんでもない。例えば刑法199条には人を殺したら3年以上、無期、死刑と書いてある。なんと幅の広いことか。そこのさじ加減をするのが裁判官だ。ではその裁判官はなにを基準にしているのか。それを心証という。自由心証主義といって裁判官は憲法と法律と自己の良心(心証)にのみ拘束されることになっている。
ただ一つ忘れてならぬことがある。裁判官が持つ裁量の幅の中にもやはり制限条項があると考えなければならないのだ。
それを条理という。一審の裁判官は条理に元づいた判決をしたと天地神明に誓って言えるか。