朴正煕は殺された。しかも一番の側近に。登りつめた男の慢心が招いた自業自得の死だった。なぜナンバー2を消さなかったんだ。ナンバー2は必ず裏切る。少なくとも金載圭(キムジェギュ)はKCIA長官で終わるつもりではいない。
このような暗殺事件になるとその原因について諸説飛び交い本質を見逃す。若いきれいな歌手がいた。発砲順序と弾の角度がどうのこうの。座席の位置がいつもと違う。・・・ばか。
ポイントは米軍が頭に来ていたということだ。朴正煕はもはや米軍にとっては李承晩の狂いようと同一だった。著しく権限が強化された大統領秘書室は、70年代にいたっては狂気を帯びてくる。ところが立法機能はたんに法案通過機能にすぎずほとんどの法律が分単位の審議で成立した。
事あるごとに、「北が攻めてきたらどうする。」聞き飽きた言い草をたれて、むしろ失政により人々の無権利状態は拡大した。学生を始め市民はデモをしたが、政府は軍を使いベトナム仕込みの残虐さで黙らせるよりほかすべがなくなった。
韓国民はもう何十年も北朝鮮に殺されたことはない。しかし、住民は北朝鮮に殺されるよりはるかに高い確率で朴正煕に殺された。つまり共産主義脅威論はもはや空論なのだ。
「朴正煕が韓江の奇跡と言われる経済発展を成し遂げた。」韓国に住んでいたころ、このバカの一つ覚えを何千回も聞いた。
のちに各官庁のトップとして辣腕をふるう大統領秘書室の官僚たちが素晴らしい経済計画を立てていたために5年、10年とたつうちにそれが芽を吹き始めたのだ。韓江の奇跡の実態はここにある。
小学校の教員には幸いその内容が分からなかったため邪魔が入ることなく実施された。
小学校の教員が分かったことは、拷問にはバーナーで顔を焼くことがいいとか刑務所でリンチを加えることがいいといったことぐらいだった。(徐君兄弟事件)
小学校の教員はましてやアメリカの人権外交がどのような世界規模で行われているかについては分かるはずもなかった。つまり死の足音を聞く能力がなかったのだ。
半島の南半分すら見渡すことのできぬサディストは、美女の侍る宴会場で薄れゆく意識の中、そのまま小学校の教員で終わった自分を想像したに違いない。 (写真は若き日の朴正煕)