《河童》の旅メモ

富雄川流域探索

割込み旅メモ「あぃっ痛たた…!」

2010年09月10日 | Weblog
本箱が傾いてきた。少し前から気にはなっていたのだが急ぐことも無いだろうと思っていた。しかしついに今にも倒れそうになってきたので、急いで本を取り出し本箱を移動して床を見ると、フローリングが凹んでいる。フローリングを剥がすと、なんと数本ある根太の半分がスノコ状態となっていた。シロアリ被害である。スカスカ状態の根太、床束、大引などを取り出し一寸一服。しかしその一服の後、腰が痛くて伸ばすことも歩行も困難になってしまった。そして今日で4日目、気にはなるのだが復旧作業はお休み状態。腰にシップを貼ってひたすら回復を待っている昨日今日である。
(今日の歴史=685年伊勢神宮の20年後との式年還宮の制を定める)

畝傍山へ「神武天皇陵」

2010年09月08日 | Weblog
「欠史八代」の天皇の実在性は信憑性もなく、現在は議論の対象にもなっていない。古事記、日本書紀の編纂された飛鳥奈良時代に創出造作された想像上の天皇。ただ始祖王陵が「畝傍山東北隅」に存在した可能性は考えられる。現在の陵は幕末の1863年に、勅令により決定され明治に大規模に造作改修されている。江戸時代にはこのあたりは神武田(ジブデン)と呼ばれる田圃の中の小さな丘だったところ。明治政府がこの整備に使ったお金は日清、日露戦争の賠償金が当てられた。なお6世紀から7世紀にかけての瓦が見つかっており、余り古くは無い。
(今日の歴史=765年神功開宝銭を銭造する)

割込み旅メモ「ミニ展示のお手伝い」

2010年09月07日 | Weblog
奈良市役所正面を入って左側に小さい展示ブースがある。展示物の入れ替えを手伝ってきました。1300年前の遺物を持つ手はやはり緊張します。今月のテーマーは井戸と釣瓶。「平城京に住む人々の飲み水は、住宅ごとに掘る井戸に頼っていた。井戸から汲み上げる釣瓶は土器を竹篭で覆ったり、直径30センチぐらい、縁の厚み3センチ位を残し木をくりぬいた釣瓶も見つかった。ひしゃくには曲げ物の柄を付けた瓢箪等も見つかっている」(説明版より抜粋)
(今日の歴史=1180年木曽義仲が挙兵する)

畝傍山へ「もの悲しい歌碑」

2010年09月06日 | Weblog
心礎石のそばに歌碑がある。読むのも難しいが「はるさらば かざしにせむと わがもひし さくらのはなは ちりにけるかも」訳:桜児という乙女を二人の若者が命を懸けて争ったが、乙女は自分が死ぬことでこの争いがおさまるのならと林の中で自殺しまう。この歌は残された若者の歌。
(今日の歴史=770年道鏡の失脚で和気清麻呂が大隈から召還される)

畝傍山へ「大窪寺跡の心礎石」

2010年09月03日 | Weblog
炎天下の中、やっとたどり着いた古代寺院跡、大窪寺跡。道を挟んで北側にある国源寺観音堂前から出土した塔の心礎が残されている。直径50センチ余り深さ6センチ前後の円孔。その周辺に13センチ、深さ3センチぐらいの蓋孔があり、さらに一辺8センチぐらい、深さ8センチぐらいの方形の凹みがある。この穴の中に仏舎利が収められ、塔の心柱が立てられていた。日本書紀に「壬申の乱に勝利した天武天皇が戦勝報告にこの地に来た」と書かれている寺はこの大窪寺ではないか?と思われている。
(今日の歴史=740年藤原広嗣が吉備真備たちを除こうと九州で挙兵=藤原広嗣の乱)