《河童》の旅メモ

富雄川流域探索

畝傍山へ「大窪寺跡の心礎石」

2010年09月03日 | Weblog
炎天下の中、やっとたどり着いた古代寺院跡、大窪寺跡。道を挟んで北側にある国源寺観音堂前から出土した塔の心礎が残されている。直径50センチ余り深さ6センチ前後の円孔。その周辺に13センチ、深さ3センチぐらいの蓋孔があり、さらに一辺8センチぐらい、深さ8センチぐらいの方形の凹みがある。この穴の中に仏舎利が収められ、塔の心柱が立てられていた。日本書紀に「壬申の乱に勝利した天武天皇が戦勝報告にこの地に来た」と書かれている寺はこの大窪寺ではないか?と思われている。
(今日の歴史=740年藤原広嗣が吉備真備たちを除こうと九州で挙兵=藤原広嗣の乱)