《河童》の旅メモ

富雄川流域探索

畝傍山へ「イトクノモリ古墳」

2010年09月13日 | Weblog
畝傍東麓に営まれた全長約30メートルとみられる前方後円墳で、江戸時代に「いとく宮」があり、地名から懿徳陵(第4代天皇)ともされた。明治41~42年に前方部が平に削られ土師器小型丸底壷や二重口縁壷が出土。森本六爾(じ)・高橋健自らによって前方後円墳起源論争が行われたことで、学史的に知られている。現在は後円部だけが神宮外苑の池田神社社地として残る。
(今日の歴史=1568年織田信長が六角氏を近江観音寺より追う)