《河童》の旅メモ

富雄川流域探索

割込み旅メモ「奈良の埋没林2」

2010年08月12日 | Weblog
手前の白線が水田跡。細く通路のようになっているのが畦で30センチ程の幅。一枚の水田の広さは畳で4畳から5畳位だろうか。現代のように綺麗に直線で区画された水田ではない。弥生人の心のおおらかさが感じられる。水田跡の奥が埋没林。
(今日の歴史=1962年堀江謙一が小型ヨットで太平洋単独横断に成功)

割込み旅メモ「奈良の埋没林1」

2010年08月11日 | Weblog
奈良県御所市・中西遺跡で弥生時代前半期(約2400年前)の水田跡と埋没林跡が見つかった。水田と周辺の森林が同時発見されたのは国内で始めて。洪水で埋まったもので埋没林のうち186本は22の種樹に特定できクワ、ツバキ、カエデが多かった。画像の手前白線が水田跡、その奥が埋没林。
(今日の歴史=742年聖武天皇が離宮を近江紫香楽につくる)

平城京を歩く「木簡」

2010年08月10日 | Weblog
平城京から出土する木簡には「辛苦」と書かれた物、鷹の飼育に関わるもの、役人の勤務評定、あげくには借金の申込を書いたもの。また漢詩を書いたも、伝票、荷札などにあたるものまで雑多で当時の社会生活が読み取れる。画像の木簡は、京に住む16歳の子が盗みを働いたために豎子(じゅし)から追放されたことが書かれた木簡。これらを読み解くには大変な能力、努力が要る。
(今日の歴史=729年藤原光明子”不比等の娘”が聖武天皇の皇后になる)