《河童》の旅メモ

富雄川流域探索

平城京を歩く「内裏跡」

2010年08月24日 | Weblog
70年間ずーと天皇が日常的に暮らしていた内裏跡。柱間3間7間。4面ひさし、最高級の和風高床式の住宅として最大級であったが、いまは、つげの木が柱跡を示している。。ここから大極殿へ向かった。足元は木靴であったのだろうか?雨上がりの道は泥濘であっただろうろ思われる。建物の模型は資料館にある。この後ろ(画像右側)は女官などの住まいがあった。内裏跡から東・大極殿を望む。
(今日の歴史=79年ポンペイ市と市民約2000人が火山灰により埋没する)