《河童》の旅メモ

富雄川流域探索

平城京を歩く「内裏の井戸」

2010年08月23日 | Weblog
内裏東部で見つかった井戸は、直径1.7メートルの杉木をくり抜いた筒をすえ、周りに切石や玉石を敷き詰めた立派な洗い場。天皇のために用いられていて、屋根も付いており一番格式の高い井戸だった。庶民の井戸とは大いに異なる。今も昔も貧富の差は大きい?
(今日の歴史=963年空也が万灯会を修する)

割込み旅メモ「奈良の埋没林8」

2010年08月20日 | Weblog
京都・奈良・和歌山を南北に結ぶ京奈和高速道路建設が続く。奈良県下では始めて、出来上がれば唯一の高速道路であり、完成が待ち遠しい。しかしこうも次から次へと高速道路建設予定地から遺跡が見つかると原状保存が出来ないだけに残念だ。この工事が無ければこれらの遺跡は見つからなかったかも知れない。画像は南へと続く京奈和高速道路予定地・埋没林はこの先、テントの左奥のところにある。
(今日の歴史=716年吉備真備が唐への留学を命じられる)

割込み旅メモ「奈良の埋没林7」

2010年08月19日 | Weblog
明らかに通路があってそこを通り木株へ進んでいる。太い木ではないが木の周りには多くの人の足跡や猪のような動物の足跡もある。この木の下で何があったのだろうか。土器の破片も少しではあるが見つかっている。
(今日の歴史=866年嵯峨天皇の信頼が深い藤原良房が民間人として始めて摂政となる)

割込み旅メモ「奈良の埋没林」

2010年08月18日 | Weblog
この遺跡には人の足跡があちこちに残っている。足の大きさを見るために時計を置いて写した。時計のバンドを含めたの長さは23センチとほぼ同じであるから、身長は150センチ前後か?少し小さめの足跡は女性?このほかに猪などの足跡も見つかっている。
(今日の歴史=1452年幕府が徳政札を東大寺南門に掲げる)

割込み旅メモ「奈良の埋没林5」

2010年08月17日 | Weblog
伐採痕を拡大したものだが、奈良県磯城郡田原本町にある弥生時代の「唐古・鍵遺跡」の大型建物の柱材の根本には伐採時の痕跡がこの木株の逆の形で見つかっているので、このような大木の伐採方法は当時の主流だったのだろうか。これらの木々は調査後、抜取られて橿考研で保存される見込み。
(今日の歴史=1180年源頼朝が伊豆で挙兵する)