《河童》の旅メモ

富雄川流域探索

平城京を歩く「第二次大極殿跡」

2010年08月26日 | Weblog
聖武天皇が恭仁京宮から帰ってきて造られた。天皇は月に一回出てくるが5位以上の役人は朝堂院で毎朝打ち合わせをして、お昼前には帰ったのではないか。当時の食事は朝夕の二食。ご飯と塩。おかずは自前。器については儀式用は土器であったが、天皇などは漆や金属の器が使用されていた。通勤(?)する高官は馬などを使うが一般は徒歩で九条辺りから来る役人は大変だったと思われる。羅城門では午前三時半頃に鐘を突いたとも言われている。宮内のトイレの存在は分からないが藤原京では出てきており、木簡の出てくるところはトイレ跡という研究者もいる。
(今日の歴史=738年諸国に命じて国郡の図をつくらせる)