月と歩いた。

月の満ち欠けのように、毎日ぼちぼちと歩く私。
明日はもう少し、先へ。

良い刺激

2013-01-16 | 仕事
今日の取材はいろいろと勉強になった。

最近やたらと依頼が来るようになった転職サイトの取材。
転職サイトといってもいろんな媒体がある。
以前は直接、某運営会社から依頼を受けていたのだけど、最近は代理店の営業さんからの依頼ばかり。
なので、いろんな媒体のものを書くようになった。

今日取材した企業は2媒体を使いたいということで、私だけでなくもう一人ライターさんが来た。
同時に取材は行うのだが、別々の媒体で書くということ。
二人で一度にインタビューするとややこしくなるので、もう一人のライターさん主導で取材を行った。

この人がすごかった!

そういえば、私って、あまり人が取材するところを見たことがないんだよなぁ・・・
それどころか組織に属したことがないので、取材のやり方をきちんと学んだこともない。
これまで特に支障はなかったけれど、どちらがいいかという問題ではなく、やはり人の仕事ぶりを見ると勉強になる!
ベテランの男性ライターさんだったので、話の進め方などが非常に上手だった。

また、最近の求人はとにかくIT関連が多いので(8割くらい)、そういう知識はさすがに負けてしまう。
(その人は長年、IT関連の会社を多く取材していたらしい)
私ももちろん用語などはわかるようにしているが、自分から話題をふれるほどの知識はないし・・・

人柄もとても素敵な人で、ご一緒させてもらえて光栄だった。

それに、取材した会社もまたまたいい会社で・・・
特に社長さんが素晴らしかった。
募集背景として、「人員不足」ではなく「体制強化」のためという企業は、当然右肩上がりだ。業績がいい。
この時代に業績がいい会社というのは、別に悪いことをして儲けているわけではないので、いろんな面で優れている。
社長の考え方がいい、職場環境(福利厚生も含め)がいい、社員同士の仲がいい。
すると自然にみんな仕事が楽しくなっていいものができるから、業績が上がる。いいこと尽くしなのだ。

今日もそういう会社だった。
今年32歳という男性にもインタビューしたのだが、とてもしっかりしていた。
仕事もよくできるのだろうけど、私の質問への答えの中にそれが感じられた。
話し方、言葉遣いなど、カンペキ。
なんやろ・・・「できる人」という感じがした。自分が恥ずかしくなるくらい。

それから、社長さんが余談の中で、すごく心にしみる言葉をくれた。
内容はここには書かないけれど、「あ、なんか今自分が欲しかった言葉が降ってきた」と思った。

実は昨日、ちょっと落ち込んでいたのだ。
ある出来事があって、自分がこの世の誰からも必要とされていないような気がして(プライベートではなく仕事において)。
最近、自信も喪失しているし。

そんな自分を奮い立たせて行った取材だったので、いろんな面で刺激になった。
社長さんの言葉に救われたし、他のライターさんから学べたし、できる人の話が聞けてシャキッとしたし。

細かいことは書かないけれど、社長さんはこういうことを言ったのだ。

「自分が変わろうと思えば、必ず変われる」

変わりたいなぁ、なんとしても。
今年もあっという間に半月経った。でも、今のところいい感じで過ごせていると思う。
こうやって時々確認していかないとね。
そして、一歩でも前へ!


がんばれ、ひこにゃん!

2013-01-13 | 
3連休といっても、夫は仕事が忙しいようだったが、なんとか日曜日だけは空けてもらってお出かけした。
行き先は滋賀の彦根城。
どうしても「ひこにゃん」に会いたくなったのだ。

その前に、夫と二人で父の入院している病院へ。
また一段と元気になっていて、病院内にあるドトールへ一緒に行ってコーヒーを飲んだ。
あとは抜糸して、家で療養すればいい感じだ。退院は水曜日くらいの予定。

部屋が乾燥してのどが痛いというので、「ぬれマスク」をドラッグストアで買って持って行ってあげた。
「こんなのあるのか・・・」と胡散臭そうに見ていたが、使い心地はよかったらしい。
良いお見舞いになった。

病院を後にし、いざ彦根へ!
わが家は都心にない代わりに、関西の主なところはどこへでも行きやすいというのが利点だと思う。
京都へ15分、大阪へ25分、三宮へ1時間、彦根へも1時間。
彦根というと遠いような気もするが、1時間で行けるのである。
ちょっと日帰りでお出かけするのにはちょうどいい距離だ。

ネットで「ひこにゃんの登場スケジュール」も調べて行った。
15時から30分間で、彦根についたのが14時50分。
急ぎ足で彦根城へと歩く。
「ひこにゃんと一緒に写真撮れるかなー」とワクワク。

着いてみると、もう15時をまわっていて、「こちらでひこにゃんに会えますよー」と係りの人が案内しているのが見えた。
人だかりもできている。
慌ててそちらへ行ってみると・・・

いた!
ひこにゃん!


めっちゃ可愛い!!

しかし、この距離。
ディズニーランドのミッキーのようにひこにゃんとも触れ合えると思っていたのだが、遠い。
舞台(?)の上で愛想をふりまいているひこにゃんを、ただ遠くから見守るしかないのである。

仕方ないので、とりあえず写真はバシバシ撮った。
こちらを向いて目が合ったので、手を振ってみた。
あ、ちょっと触れ合えたかも・・・

満足してほくほくしていたが、ふと視線を感じて後ろを向いたら、夫が私の行動をじーっと見ていて、
「一部始終を見ていたよ。手を振ってたな」と言った。

「いや・・・目が合ったから・・・

夫は私の大人げない行動を非難したいようだったが、それでも「一緒に撮ってあげる」と言って、遠くにいるひこにゃんをバックに私を撮ってくれた。
後で見たら、まるで合成写真のようだった。

しばらくすると、係りの人がマイクを持って出てきた。
何か新しいパフォーマンスでもあるのかと思ったら、
「えー、皆さん、もういいですか?こんなのがあと15分くらい続きます。もういい人は後ろの方と交代してください」と言うのだ。
見ていた人たちみんなが苦笑。
お行儀のよい日本人たちは、言われたとおりに後ろの人たちと交代した。
舞台を見ると、係りの人の冷たい物言いにもめげず、ひこにゃんが一所懸命おせんべいを持って手を振ったり首をかしげたりしてパフォーマンスを繰り広げている。

「もういい。満足した」と私。

心の中でエールを送る。
ひこにゃん、がんばれ!
裁判も大変だったろうけど、これからも元祖・ご当地ゆるキャラとして活躍してくれ!

その後は彦根城の天守閣や博物館を見た。
天守閣はかなり急な階段がついていて、手すりなしでは決して上り下りできないくらいの傾斜だった。
一番上から外を眺めると琵琶湖が海のように広がっている。
こりゃ、攻めにくい城やなぁと感心。

私はわりとお城が好きだ。ロマンを感じる。
戦国時代などはあまり興味はない。
建物としての城というより、堀や城下町を含んだ全体としての構造に惹かれるのだ。
「動かない戦闘機」やもんね。

博物館では、彦根の藩主が身につけていた兜に衝撃を受けた。
赤い兜に金ピカの角のようなものがついている。
めちゃくちゃハデだ。
それに、これってどこかで見たような・・・

あ!ひこにゃんがかぶってるやつ!

「これって、ひこにゃんのやつちゃうん?」と興奮して夫に聞くと、「そうやで」と、今更何を言っているんだと言いたげなそっけない返事。

そうか~
ちゃんと彦根藩主がかぶっていた兜をモチーフにしていたのか~
そんなことも知らなかった私。
勉強になりました。

十分に堪能して、少しおみやげ物屋を覗いてから帰りの電車に乗った。
何かおいしいものを食べて帰ろうと思ったが、滋賀の知識がまったくないので、あんこちゃんにメール。
あんこちゃんは滋賀県出身だし、今は仕事で滋賀県のフリーペーパーを制作しているから情報通なのだ。
すぐに返信が来て、何軒か紹介してもらった。
飲んだ後、帰りが近いほうがいいということで、南草津で途中下車し、「酒菜くどう」というお店に寄った。

まだ6時前だというのにほぼ満員!流行っているお店みたいだ。
日本酒のメニューもズラリ。
お魚が美味しいお店かと思ったら、鶏料理がメインのようだった。
私も夫も鶏は大好きなので、何にしようか迷う迷う。

つくね焼き
ハンバーグみたいで玉ネギもたっぷり入っている。


名物だという鶏の陶板焼き。
レモン塩、わさび醤油、辛みそ、好きなものを付けて食べる。
これがすごくジューシーで美味しかった。


甘エビのから揚げ
もっと小さいものを想像していたので、大きさにびっくり。うれしい~


じゃがいものパリパリサラダ
ボリューム満点!


あとは、お造りの盛り合わせも頼んで、日本酒をちびちびと。
店員さんも感じがよくて、とても満足した。

電車の中でフェイスブックにひこにゃんをアップしたら、もんちゃんから「見たよ」とメール。
私のことを「ひこにゃんに似てるね」とのこと。

言われてみれば・・・?
私はだいたいこういう「点」や「線」で描かれた顔に似ていると言われることが多い。
でも、ひこにゃんは好きだから嬉しいのだ

えべっさんに「頑張ります!」宣言

2013-01-10 | 生活
10日は年明けの恒例行事、十日戎。
毎年のようにライター友達のアンデルさんと西宮神社へ商売繁盛祈願をしてきた。

空気は冷えていたが、晴れていて気持ちの良い日だった。
それだけでもなんだかいいことがありそうな気がする。

人波に押されながらようやく本殿へ。
私の前に並んだおじさんがかなり長時間祈っていた。きっと切実なんだろう。
ちなみに私は、えびすさんに限らず、どこの神社でもあまり長くは祈らない。
というか、基本的に「自分のお願い事」はしない。
掌を合わせる時はただ「いつもありがとうございます」と感謝の気持ちを伝える。
そして、えべっさんのときは「今年も頑張ります」と宣言する。
自分が頑張らないことには神様も力を貸してはくれないだろうと思うからだ。

そう。
本当に、今年は自分が頑張らなければ。

いつもどん底にいるとき、それでもへこたれず腐らず前を向いて一所懸命やっていたら、必ず救いの手が伸びてきた。
何度もキセキが起きた。
そのことをようやく思い出して、自分が今何をすべきなのかに気づいた。

昨年の秋頃、なんだかもういろいろあって、人間不信にも陥って、へこんで這い上がれない時期があったのだ。
なんとかポジティブシンキングをしてみたり、考え方を変えてみようともしたけれど、結局いい方向へは行かなかった。

絡まった糸の中でもがいてもダメだ。よけいにこんがらがっていく。
ちゃんと自分の立ち位置を見て、周りを俯瞰的に見て、1つ1つゆっくりとほどいていかなければならない。
それは時間のかかる行為かもしれないが、着実で建設的だ。

今は目の前のことを一所懸命やりつつ、「なんだか面白くなってきた!」とワクワクしている。
このピンチを今度はどんな形で切り抜けるんだろうかと。そして、今度はどんなキセキが起きるんだろうかと。

でも、救いの手もキセキも、「自分の仕事」をちゃんとやっていない人間には起こらない。
へこたれず腐らず、前を向いて毎日「自分の仕事」をすること。今はそれに終始している。

だから、えべっさんにも「頑張ります!」宣言。
いつもその気持ちを忘れないよう、福笹とお守りを買って帰った。

「お参りの後はまっすぐに帰らないといけないんだって。どこかに立ち寄ると、そこに福を置いてきてしまうことになるらしいよ」とアンデルさんが言った。
毎年、お参りの後は美味しいものを食べて帰ることにしていたので、あれまあ!と思ったが、今年もそのつもりで来たので気にせず食べて帰った。

西宮はまったくわからないので、地元のアンデルさんがお店は選んでくれた。
「Gastronomia e Bar Giulietta」 (ガストロミーア エ バール ジュリエッタ)
横文字が苦手な私には一生覚えられない店名である。

気軽なイタリアンバルで、いろんなお惣菜を食べながらワインを飲める。
リーズナブルな価格も魅力。

まずはバルの醍醐味である前菜盛り合わせを。


かなりボリュームもあり嬉しい1皿だ。
隣の人たちもみんな初めに注文していたが、やっぱりね。
また1品1品に手をかけて作っているようで、中には温かいものもあり、どれもおいしくいただいた。

カウンターに座っていたので、厨房がよく見えるのもいい。
おいしそうなラザニアが焼きあがったので、たまらず注文。やはり出来立ては旨い。

アンデルさんは生牡蠣を注文。
私はワイン×生牡蠣の組み合わせがあまり好きではないので、ここは辞退。
それも赤ワインを飲んでいたので・・・

それから、ホタテと菜の花のサラダ


最後にゴルゴンゾーラのパスタを。
写真はないけど、これもとても美味しかった。
ワインも4杯くらい飲んで、満足。

店を出る頃になって、アンデルさんの高3の娘さんが塾の帰りに店を覗いてくれた。
初めて会ったが、明るくて笑顔の可愛い女の子。
話していると、「やっぱり『先生』って感じがする~」と言われた。
塾を辞めてからもう随分経つが、どうしてもそういう感じが出てしまうのかな。
それに、やはり中高生と話すのは好きだ。楽しい。

駅で分かれて、帰宅。
飲み足りなくて、ついついまた日本酒を・・・。

でも、楽しい酒はいいよね



鋼鉄の家族、敗れたり?

2013-01-09 | 生活
それは、1月3日に私の実家へ新年の挨拶に行き、すき焼きをご馳走になっていたときだった。
母が突然、「お父さんが来週、入院して手術するから」と言った。
新年の気の利いたブラックジョークかと思って父の顔を見ると、神妙な顔つきから冗談ではないことはわかった。
しかし、それにしては二人とも落ち着いている。
「旅行に行ってくる」とでも言うくらいのテンションだ。

夫と二人、心配していいのか、笑い飛ばしていいのか悩みながらも詳しく聞いてみると、こうだ。
父の背中に腫瘍が2箇所できていて、それを取る手術である。
悪性という可能性はゼロではないが、まあそれも「万が一」レベルなので、たいして心配はしていないとか。
病院は高槻で入院は1週間、手術は全身麻酔で行う。今、その腫瘍自体に痛みはない。

詳しく聞いてみても、どんなリアクションをとっていいのかわからず、「はぁ~」「まあ、がんばって」という感じで終わった。

今日はその手術日。
朝早くから行われ、昼前には終わるとのこと。
どうしても夕方までに出さないといけない原稿があったので、それを仕上げて、4時頃に私も病院に行った。

鋼鉄の家族、ここに敗れたり。

駅までの道を歩きながら、そんな言葉が浮かぶ。
私の家族は、私を含めてみんな健康で、誰一人として病院に行くどころか、家で寝込んでいる姿すら見たことがなかった。
特に母は「鋼鉄の女」と私が名づけていたくらい丈夫だったのだが、去年、膝の難病にかかった。
一時期はそれで精神的にもやられて一気に老け込み、夏には一度倒れた。
その姿をたまたまシンガポールから一時帰国していた姉が見てしまい、「もうお母さん、あかんって思った」と言うのを聞いたときには、私も焦った。
ただ、さすが鋼鉄の女は違う。
膝の手術をしたらもう一生膝が180度までは伸びなくなることや、3人がかりでの大手術になること、お金もかなりかかることなどを聞くと、急に生気を取り戻したのだ。
「もうあまり痛くない」と言い出し、手術をやめた。
今は薬やリハビリなどでごまかしながら過ごしているが、長距離でなければ歩けるし、園芸店の仕事も週に1回は行っている。
不思議なもので、気持ちが前向きになったらまた見た目も若返り、元通りの母になった。会うと顔がツヤツヤしている。

とは言え、もう正座もできず、いつも椅子や座椅子に腰掛けている姿を見ると、ちょっぴりせつない。
親が年をとるというのは、本当にせつない。ただただせつない。

そして、いよいよ父親もそんなことに。
「病院」「入院」「手術」という言葉に本当に縁がなかったので、それを聞くだけでなんだかたいそうなことのような気がした。
「万が一」とはいえ、悪性だったら嫌だなぁとも思ったし、そういえば、父方の祖父は若くして胃がんで亡くなったんだったなぁと、普段は思い出さないことを思い出したりもした。

なんだか暗い気持ちで病院へ。
手術するような病院って広いんだなぁと、妙なところに感心する。
長い長い廊下を歩いて、聞いていた病室へ向かった。
病室の番号を控えてくるのを忘れて、廊下でおろおろしていたら、看護師さんが案内してくれた。
みんな優しい看護師さんなので、そんなことにホッとした。

病室に入ると、手術を終えて、まだ5時間くらいしか経っていない父がベッドに寝ていた。
その横に付き添いの母。
ウンウン唸っているか、ぐったりしているかと思って覚悟していたのだが、顔を見て拍子抜け。

めっちゃ元気やん!

背中と聞いていたのでうつぶせになっているかと思えば、フツーに仰向けで寝てるし……。
点滴はしていたが、まあそれだけで、顔色もいい。

それでも最初は手術室に運ばれる恐怖や麻酔の不安などを弱弱しく語っていたが、だんだん話がのってくると声も大きくなり、最後には起き上がって座って話していた。
むしろ、前日から付き添いをして、入れ替わり立ち代りやって来る先生や看護師さんとのやりとり、書類の記入、入院の準備などで大忙しだった母のほうがお疲れ気味だった。
帰るときには夕食のハンバーグをおいしそうにムシャムシャと頬張っている父を見て、こりゃ心配いらんな、と思った。

とりあえず、ホッとした。

淋しいからもっといてくれ~と甘えてくる父を、母と二人で冷たく突き放し、二人で病室を出た。
そんなことも、元気だったからこそできるわけで・・・
よかった。

母と近くの「風月」でお好み焼きを食べた。
モダン焼きにするとかなり大きいので、オーダーのときに店員が2回も「小にします?普通のでいいんですか?」と聞いてきた。
母くらいの年齢の人だとたぶん食べられないんだろうな。
「どうする?」と聞くと、「食べる」と母。
実際、大きなモダン焼きを私より早く食べ終わってしまった。

母と二人で外食をすることなどまずないので、なんだか新鮮で楽しかった。
店を出る時、母が財布を出したので、「いいよ!今日はお疲れ様。ここは出しておきます」と言うと「そーお?ありがと」と嬉しそうだった。

モダン焼き2枚と生ビール1杯で2280円。
レジで財布を開いたら、お札が2枚しかない。慌てて小銭入れを開けたら、なんとか300円はあった。
あぶない、あぶない。
2300円も財布に入っていないと母に知られたら、また心配される。そして、お小言が始まる

セーフ。

空っぽの財布の四十女を娘にもって、この人も可哀相だなぁ、なんて、駅のホームで母の横に座りながら思う。
こういうとき、いつも自分が情けない。
まだ何も親孝行してないなぁ。
父は75歳、母は68歳。随分年をとった。
同年代の友達の親も毎年誰かが亡くなって、喪中のハガキで知るようになった。
そういう年代なんだなと実感する。
ずっと鋼鉄の家族でいられるような気がしていたが、そんなわけにもいかない歳だ。
それでも、今年もとりあえずは元気で新年を迎えられたことに感謝しなければならない。本当に。

帰りの電車で、夫が父の事を随分と心配していたこと、普段、人の話も聞かずに自分の薀蓄ばかり語る父のことを決して悪く言わず、「お父さん、すごい知識やなぁ、すごいなぁ、勉強になるわ」と言ってくれること、私が父の文句を言うと怒られることなどを母に話した。
すると、母がこう言った。
「かおりが優しい人と結婚してくれて、本当によかった。つくづく思うの。それが、本当によかったって」

そうか~?と、なんでもないように答えながら、ちょっと泣きそうだった。
就職はしない、すぐに家を飛び出して顔も見せない、酒に溺れる、貯金はない、結婚はしない……
心配ばかりかけたけれど、1つくらいは親孝行できたのかもしれない。

とにかく私はもっと自分のことを頑張ろう、と思った。
いい仕事をたくさんして、もう心配かけないように。
今年、まだ10日も経っていないけれど、今のところは毎日いい感じで頑張って過ごせている。
父のことが気にかかっていたが、それも安心できたし、今年はどんな一年になるのかなと改めてワクワクしてきた。

電車を乗り過ごしたのは・・・

2013-01-08 | 
今年の初取材は、まだ設立3年の若い会社だった。
これまた若い女性の社長さんで、とても魅力的な人。
パワーといいオーラが溢れている。
世の中には本当にたくさんいい会社があるなぁと思う。

阿倍野から初めて路面電車に乗った。
システムがわからなくてドキドキした。
道路の真ん中で車が通っていく横の小さなホームで電車を待つのは、面白いやら不安やら。
大阪生まれの大阪育ちといえど、「天王寺」や「阿倍野」は全く馴染みがない。
どうもあの空気には慣れないなぁ。

取材帰りにお肉屋さんの前を通ったら、「国産チキン 安全・安心」というのぼりが出ていた。
アニメのような「チキン」こと「鶏」が笑っているイラストと共に……。
なんとも説得力のない国産だった。

帰りの電車で本を読んでいたら夢中になって、気づいたら自分の家を通り越して次の駅まで来ていた。
酔っ払っていなくても乗り過ごすのだな、私は。

家に帰ってからも続きが読みたくて、コーヒー2杯と紅茶3杯をお供に最後まで読んでしまった。

高田郁の『出世花』。
彼女の作品は『みをつくし料理帖』シリーズをすべて読んでいるが、シリーズ外のものを読むのは初めてだった。
なんとも題材が面白い。
死人を清める湯灌の話である。

少女マンガの原作をやっていたことも関係しているのだろうが、「みをつくし」と同じで江戸時代の女性の生き様を描いている。
時代小説というと「おっさんの読み物」だと思っていたので、これは本当に新しい。
プラス、いわば「職業女性」の話であり、その時代の女性の立場や身の振り方もよくわかって興味深い。

「人情話」と言ってしまえばそれまでだが、私は自分が古典文学を専攻していたためか、そういう世界がたまらなく好きで。
特に遊女が穢れた身を死んでから清めてもらい、浄土へ行きたいと切望する気持ちなどは、「ツボ」である。
泣けて泣けてたまらない。

中古中世時代には、卑しい身分に生まれた者が、あがくことも失望することもなく、ただ淡々とその事実を受け入れて生きていっていたように、私には感じられる。
それは、身分に関係なく極楽浄土に行ける、来世では違う者に生まれ代われるという希望みたいなものがあったからなのかなと思う。
それが、今の世に生きる私には、何か羨ましいというか、尊いように思えて仕方がないのだ。

話がややそれたが、私が高田郁という作家の書くものに惹かれるのは、どこか「品」があるからだ。
さりげなく描写される野の草花の可愛らしさ、出てくる質素な料理のありがたさ、親と子がお互いを思いやる気持ち。
そういうものが自分の感性にしっくりとくる。
人がどのように生きれば美しいのか。いつもそれを問いかけているような気がしてならない。