月と歩いた。

月の満ち欠けのように、毎日ぼちぼちと歩く私。
明日はもう少し、先へ。

電車を乗り過ごしたのは・・・

2013-01-08 | 
今年の初取材は、まだ設立3年の若い会社だった。
これまた若い女性の社長さんで、とても魅力的な人。
パワーといいオーラが溢れている。
世の中には本当にたくさんいい会社があるなぁと思う。

阿倍野から初めて路面電車に乗った。
システムがわからなくてドキドキした。
道路の真ん中で車が通っていく横の小さなホームで電車を待つのは、面白いやら不安やら。
大阪生まれの大阪育ちといえど、「天王寺」や「阿倍野」は全く馴染みがない。
どうもあの空気には慣れないなぁ。

取材帰りにお肉屋さんの前を通ったら、「国産チキン 安全・安心」というのぼりが出ていた。
アニメのような「チキン」こと「鶏」が笑っているイラストと共に……。
なんとも説得力のない国産だった。

帰りの電車で本を読んでいたら夢中になって、気づいたら自分の家を通り越して次の駅まで来ていた。
酔っ払っていなくても乗り過ごすのだな、私は。

家に帰ってからも続きが読みたくて、コーヒー2杯と紅茶3杯をお供に最後まで読んでしまった。

高田郁の『出世花』。
彼女の作品は『みをつくし料理帖』シリーズをすべて読んでいるが、シリーズ外のものを読むのは初めてだった。
なんとも題材が面白い。
死人を清める湯灌の話である。

少女マンガの原作をやっていたことも関係しているのだろうが、「みをつくし」と同じで江戸時代の女性の生き様を描いている。
時代小説というと「おっさんの読み物」だと思っていたので、これは本当に新しい。
プラス、いわば「職業女性」の話であり、その時代の女性の立場や身の振り方もよくわかって興味深い。

「人情話」と言ってしまえばそれまでだが、私は自分が古典文学を専攻していたためか、そういう世界がたまらなく好きで。
特に遊女が穢れた身を死んでから清めてもらい、浄土へ行きたいと切望する気持ちなどは、「ツボ」である。
泣けて泣けてたまらない。

中古中世時代には、卑しい身分に生まれた者が、あがくことも失望することもなく、ただ淡々とその事実を受け入れて生きていっていたように、私には感じられる。
それは、身分に関係なく極楽浄土に行ける、来世では違う者に生まれ代われるという希望みたいなものがあったからなのかなと思う。
それが、今の世に生きる私には、何か羨ましいというか、尊いように思えて仕方がないのだ。

話がややそれたが、私が高田郁という作家の書くものに惹かれるのは、どこか「品」があるからだ。
さりげなく描写される野の草花の可愛らしさ、出てくる質素な料理のありがたさ、親と子がお互いを思いやる気持ち。
そういうものが自分の感性にしっくりとくる。
人がどのように生きれば美しいのか。いつもそれを問いかけているような気がしてならない。