月と歩いた。

月の満ち欠けのように、毎日ぼちぼちと歩く私。
明日はもう少し、先へ。

はーどでいずないと

2013-01-23 | 生活
夜11時半にようやくホテルに入った。
今はベッドで一番搾りを飲みながらこれを書いている。

今日はハードだった。
昼過ぎに東京に着いて、それから真っ直ぐ株式会社Aの本部へ。
そこの会議室を借りて、T社長とA社のSさんと私の3人で、年史の読み合わせ校正をした。
100ページもあるので、とにかく時間がかかる。
集中してやったが、あっという間に7時になった。お腹がすいて倒れそうだった。

そこで、デニーズに移動してご飯を食べて、そこで11時まで続きをやった。
というわけで、今回は美味しい料理とお酒をご馳走になることはなかった。
それどころか、滅多に行かないファミレス!新鮮~♪
夜ご飯にハンバーグは重いなぁと思いながらも、なかなか食べる機会もないし、せっかくなのでハンバーグを食べてみた。
美味しいけど、やっぱり和食に日本酒がいいなぁ…(^_^;)

T社長もSさんも60歳くらいなので、10時を過ぎると「目がかすんできた」「乱視っぽくなる」と言っていた。
さらに、終了後に少し世間話をしていたのだが、話題が、定年、年金、葬式、親を看取る、お墓だった(笑)
そんな話題に参加している自分が笑けた。

疲れたけど、なんだか楽しかったなぁ…
久しぶりに9時間近くも集中して文字を追ったので疲労とは裏腹に興奮している。
で、ビールを飲みながらこれを書いてみた。

明日も引き続き校正がある。
がんばろう。

あ~
私は年がら年中「がんばろう」だなぁ…
でも、毎日頑張れることがあるっていい。

昇華

2013-01-22 | 仕事
昨日は設立間もないベンチャー企業の取材だった。
やはり安定した需要と将来性のある業界の事業をすべきだなぁと思う。
たった4人でスタートした会社がすでに100名を超え、不況をものともせず、4年連続業績は右肩上がりなのだから。

取材相手は全員20代~30代前半。
その中に店長を任されているという女性がいて、年齢を聞いたら22歳だという。取材も忘れて本気の声が出た。
「わかっ!!」

びっしりと目に付けられた付け睫毛がその年代の女の子という感じはしたが、しっかりしている。
ゆとりだなんだと言われていても、ちゃんとしている子はいるものだ。

ただ、私はあまりベンチャー企業というのが好きになれない。
みんなが一丸となって頑張っているのもわかるし、ビジネスマナーだ、研修だ、勉強会だと、向上心もあって熱心なのはすごいと思う。
だけど、なんというのかなぁ・・・どうしても大学のサークルのりというか、そういう雰囲気を感じてしまうのだ。
ちょっとウザいくらいのおっちゃんがいるほうが会社らしくていいなと思ってしまう。

そう思っている自分に気づいてハッとする。
これはきっと年をとったという証拠なんだろう。
22歳の女性店長より、50代のおっちゃんのほうが身近に感じている・・・

でも、その企業の人たちはみんな楽しそうだったし、イキイキしていた。
自分の会社が大きく成長していくのを肌で感じられるというのは、言葉では言い表せないような充実感があるのだろうな。

そういえば、私も同じような経験をしたことがある。
某企業の社内報を10年間制作していた。始めた頃はまだ40店舗ほどだったのに、10年後に辞めるときには300店舗を超えていた。
東証一部上場も果たしたし、中国や韓国への出店もしていた。
フリーライターとして関わっていたとはいえ、月の半分くらいはここの仕事にかかりっきりで出入りしていたから、気持ちはかなり社員に寄り添っていた。
だから、本当に面白かった。
1企業のサクセスストーリーと、そこに関わる人たちの想いを聞いて書き続けるということは、何物にも代え難い喜びだった。

あの仕事を追われるように辞めてから6年が経った。
まだ6年か、と思う。もう随分昔の事のようだ。あんなに毎日がそれで満たされていたのに、この6年というもの、かけらも関わりがないからだろう。
あまりにも遠い。だから、夢の中の出来事のようにさえ思える。
憎しみもなければ、懐かしさもない。
ただ、遠い。

でも、つい先日、ネットの経済ニュースを見ていたら、1番上に新着ニュースとして、その企業の名前が出ていた。
反射的にクリックしたら、新しい事業を始めるといった話だった。
まだ成長を続けていくのだなぁ。
もう関係がないのに、なぜか少しだけ誇らしいような気持ちになる自分にも気づいた。

私もがんばろう。

明日からまた1泊2日で東京出張だ。
某企業の50年史の最終チェックが行われるので、T社長に同行する。
今日はその準備で100ページにも渡る原稿の校正をしていた。

またグリーン車というVIP待遇
ありがたいけど、恐縮する。
と言いつつも、「また明日の晩は美味しいものごちそうになれるのかなー」なんて、いやしいことを考えている自分もいるのであるが。

難解な呪文と狂気から生まれる文学

2013-01-21 | 
土曜の夜、夫と外食していた時に、黒田夏子さんの話になった。
先日、芥川賞を最高齢(75歳)で受賞された方だ。
テレビのニュース番組でお見かけしたが、上品で知性の感じられる素敵な女性という印象を受けた。
「すごいなー、75歳で芥川賞か~」と、最初はそのくらいの興味で見ていたのだが、ある報道で彼女は携帯電話はもちろん、電話が嫌いで、連絡手段は「ハガキ」だと伝えているのを聞いて、俄然興味が深まった。

だって、ハガキって・・・!

おそらく急用の時は家の電話を使用しているのだろうけれど(まさかかけかたを知らないということはないだろう)、急を要するような事柄でなければ「ハガキ」で連絡をとるのだろう。
時代錯誤も甚だしく、なんて素敵なんだろうと思ったのだ。

夫も「この人の書くものには興味がある。読んでみたい」と言っていたが、私もその「ハガキ」の一件でものすごく読みたくなった。
実際、読んだ人の話を聞けば、まるで長い呪文のように難解な文章で、読んでも読んでも意味がわからないのだとか。
何度も今読んだばかりの文を読み返してしまい、なかなか先に進めないそうだ。
ハガキの件といい、文章の難解さといい、現代のニーズを全く無視しているのが気持ちよい。

私は文学部の国語国文学科というところを出ているが、近代文学の講義のときに教授が言っていたことを思い出した。
その頃は、吉本ばななが流行っていたのだが、教授は別に吉本ばななさんをバカにするというわけではなく、「あの文章は読みづらい」と言ったのだった。
1作でも読んだことがある人ならわかるだろうが、簡潔で読みやすい文章である。それこそ、小説など読んだことがなかった人でもすぐに読めてしまう。それなのに教授は「読みづらい」というのだ。
理由は、「毎日毎日、明治から昭和初期の難解な文章ばかり読んでいると、かえって単純な文章のほうが読めなくなるんです」とのこと。
なるほど、そういうものなのか。と妙に納得したものだ。

そんな昔のこと(もう20年も前だ!)を思い出しながら、最近の自分を振り返ってみると、大学時代のように難解な文章を読むということがなくなっていることに気づいた。
だんだん単純な文章へ、読みやすくて早く読めるものへと移ってきたように思う。
脳というのは使わないとバカになる一方で、当時は古文もすらすらと読めたのに、今では現代語訳なしでは読める自信もない。

そこで、黒田夏子さんである。
そんなに難解で「呪文のよう」とまで言われるものなら、なおさらチャレンジしてみたい。
いつものように電車の中で読むのではなく、休日のお昼間にコーヒーでもそばに置いて、5時間くらいかけてゆっくりと、じっくりと1文1文を読み解くように読んでみたい。
今回の芥川賞は「元・文学少女」のハートに火をつけてしまったのである。
(読み終えたら、感想をアップします)


さて、芥川賞関連でもう1話題。
昨夜、たまたまテレビをつけていたら「情熱大陸」が始まった。私はあまりこの番組を観ることはないが、取り上げられていたのが昨年の芥川賞受賞者である田中慎弥氏だったので、なんとなく見ているうちに最後まで見終えてしまった。

田中慎弥氏といえば、あの石原氏に対しての「もらっといてやる」発言で一躍有名になった作家さんである。
キャラ的にとてもパフォーマンスでやっているとは思えない人だったし、ああいうタイプの人は嫌いじゃないので、本も読んでみたいなと思っていた。でも、書店で手にするたびに、なんとなく陰気なタイトル(例えば「共喰い」とか)に読む気が失せ、これまで読まずにきた。
なので、未だにどんな作品を書くのか知らない。

では、なぜ「情熱大陸」を最後まで見てしまったかというと、最初のほうをちょっと見ただけで「狂気」のようなものを感じたからだ。それに惹かれた。
彼は山口県下関で育ち、高校を卒業してから、ただの一度も就職をしたことがなく、アルバイトすらせずに親のスネをかじりながらただひたすら小説を書き続けてきた。
最初に賞をとったのが、32歳。10年かけて執筆したという「冷たい水の羊」でデビューした。
その後、様々な文学賞を受賞し、芥川賞の候補にもなりながらもなかなか脚光を浴びることはなかった。
あの「もらっといてやる」発言はインパクトはあったが、本人はそれで注目されようなんて気持ちはなかったと思う。

三島や谷崎、川端を尊敬しているとか、源氏物語を5回も読んだとか、仕事もせずにただ小説を書き続けているとか、パソコンも携帯も持たずに「鉛筆」で原稿を書いているとか。こちらも黒田夏子さんに負けず劣らず時代に逆行している。
まるで昭和初期の文学青年のようだ。
私が学生時代に憧れた、かの時代の文学青年が平成の世に生きている!(これで結核でも患えばカンペキな文学青年である)

ひたすら小説を書き続けてきたわけだが、彼の場合、売れない芸人やミュージシャンが「夢」を追い続ける、というのとは全く違う。「夢」という言葉すら不似合いだ。
この人は何かになりたくて、何かを目指して小説を書き続けているわけではなく、本当に「書くしかなかった」んだな、と感じた。
その「書くしかない」という陰気で鬱陶しいほどの不器用さに、どこか親近感を覚えた。

いわゆる「天才」という部類の人とは違う。
たぶん、彼は凡人だ。
凡人が何かを成し遂げようと思ったら、そこには「狂気」が必要だ。
その「狂気」は持とうと思って持てるものではない。おそらく、本人はそれが「狂気」だなんて思ってもいないだろうし。

最高齢受賞、最年少受賞、若い女性のダブル受賞など、最近の芥川賞はどうも「話題性」を自ら作ろうとしているように思える、と夫は言った。
そうかもしれないけど、それはまあそれでいいんじゃないの?と私などは思っている。
誰にも興味をもたれないよりは、文壇が賑わえば、また良いものも生まれてくるのではないだろうか。

とりあえず、「abさんご」を読んでみよう。
難解な呪文が自分にはどれくらい解けるだろうか。

マダムの昼下がり

2013-01-20 | 生活
この土日はおとなしく家で仕事をしている。
金曜日に仕上げたかったものが押してきてしまい、そんなことに。

金曜日は、最近お友達になったご近所のFさん(奥さんのKちゃん)が「編み物を教えて」と言っていたので、うちに来てもらって一緒にやった。
“マダムの昼下がり”ってこんなのかな、と思う。
おしゃべりをしながら優雅に編み物。
時折、紅茶とラスクで休憩して。

Kちゃんはマイペースでのんびりやさんで、一見癒し系だけれど、しゃべりはなかなかパンチが効いていて、私はそれがとても好きなのだ。
「言いたいことはちゃんと言う」というタイプ。
まだ仲良くなって3ヶ月だけど、4、5時間二人でしゃべっていても飽きないような仲になった。

編み物もマイペースで、やり方は覚えたにも関わらず、4時間でマフラーが5センチくらいしか進まなかった……
私は自分のやりかけていた夫のマフラーをせっせと編んで、もうちょっとだから仕上げてしまおうと思い、この日夜中までかかってようやく仕上がった。
(そのために土日に仕事をすることになってしまったのだが)


夕方になって、「フレスコで買い物して帰る」とKちゃんが言うので、「私もフレスコ行く~」と言って、一緒に家を出た。
途中まで歩いていたら、「あっ!傘忘れた!」とのこと。
急いで取りに帰った。

買い物を済ませて「家で頑張って編みます~」とはりきって手を振って帰っていったKちゃん。
私も家に戻って、リビングを片付けていたら、テーブルの下に何か落ちている……
見ると、それはKちゃんの編み針だった。

なんで忘れるかな

こういうところがこの人の面白いところだ。
編み針を手にして笑ってしまった。
その後、メールしたら、ダンナさんが車を運転して取りに来た。
近所だからよかった。

この冬の間にマフラーが完成することを祈る!


キング・オブ・ケトル

2013-01-17 | 生活
私の友達は知っている人も多いと思うが、私はずっと純銅のケトルを使っている。
一人暮らしをする時にどうしても欲しいものを全部そろえたのだが、その中の1つがこれだった。

イギリスのシンプレックスというメーカーの熟練職人によるハンドメイド。
オールドファッションタイプの純銅100%ケトルだ。
ウィリアム王子とケイト妃の結婚式の引き出物にも選ばれたという。
イギリス王室をはじめ世界中のセレブからの評価も高い。

「銅」は熱伝導がよいのだが、底に集熱コイルが入っているため、さらに熱が早く伝わりあっという間にお湯が沸く。
紅茶好き、ポットが苦手(沸騰したお湯を長時間置いておくということに嫌悪がある)の私にとって、「早くお湯が沸く」ということはとても魅力的だった。

そして、それ以上に魅力的だったのが、美しいフォルム。
「オールドファッションタイプ」というだけあって、アンティークな香りがする。
細身の注ぎ口とボディとのバランスが素晴らしい。
たかが「やかん」。
なのに、見ているだけで嬉しくなるなんて。

使い勝手も非常によく、お湯が沸くと「ピィーーーー」と鳴いてお知らせしてくれる。
決して吹き零れない。
どんなに熱く沸騰しても、ハンドルを手で持てる。
蓋がしっかりとはまるので、決してずれない。

何から何まで素晴らしく、私の中ではキング・オブ・ケトルだったわけだ。

しかし、購入してから15年。
毎日毎日お湯を沸かし続け、いよいよ底のコイル部分がボロボロになって欠けてきた。
使用は可能だが、コンロに置くとグラグラする。
また、銅の宿命だが、とにかく手入れが面倒。
たまに磨くと元の輝きを取り戻すが、少し使うとすぐに錆びのような色がついてくる。

確かにそんな面倒はあるけれど、それでも自分にとっては最高のケトル。
これ以外を使う気持ちはない。
「一生もの」と思って購入し15年使用してきた。
ただ、底のコイルの欠けたのだけが気になるので、近々同じものを買い換えたいなぁと思ってネットで探してみた。

それが、な、なんと2010年にメーカーが製造を中止したらしい!
日本で取扱っていたウィリアムズソノマが撤退したため、もともと輸入でしか手に入れられなかったので高くなったのは知っていたが、製造中止によって「超レア」「入手困難」の文字も踊り、ものすごい値段がついている。
ネットでいろいろ検索したところ、一番高いものでは6万円台だった!

今のところ、一番安くてコレ↓
http://www.california-direct.com/product/511

29,400円也・・・

当時、私が買った時は15,000円くらいだったように記憶しているので、2倍になっている。
これは今の私には買い替えは無理だ……
でも、今買わないと、そのうち出回っているものもなくなり、もう二度と手に入らないのだろうな……
そう考えるとなんとも悲しい。

そういえば、サンビームのポップアップトースターも欲しくて欲しくてずっと探していたのだが、こちらも製造中止に。
たまたまもんちゃんが栃木の雑貨屋さんで見つけて「これちゃう?!」とメールしてくれ、購入することができたが。

コレです
http://tominet.com/sunbeamtoaster.html

同じポップアップでも、今はもっと機能的に優れたものも販売されているし、フォルムだってアンティーク風にされているものもあるから、何もこんな古いトースターを選ぶ必要はなかったのだけど。
でも、自分にとっては特別な思い入れがあり、「いつか買いたい」と思い続けてきたトースターなのだ。
使い勝手は最高とは言えないが、それでも使うたびに嬉しくなる。

どうしていいものが製造中止になるのかな。
世の中が便利になっていくから、古いものが切り捨てられるのは仕方ないのかもしれないけれど、なんだか淋しいことだ。
どうせ使うなら機能性だけにこだわるのではなく美しいものを使ったほうが、生活は豊かになると思うのだけどなぁ。

ずっと忘れたくない「用の美」の心。
ものは生活の中で使われてこそ美しい、という考え方。

おそらく買い換えることはできないであろうケトルは、本当に「一生もの」になってしまうのかもしれない。
が、それもまたよろし。
グラグラするくらいは我慢しよう。