それは、1月3日に私の実家へ新年の挨拶に行き、すき焼きをご馳走になっていたときだった。
母が突然、「お父さんが来週、入院して手術するから」と言った。
新年の気の利いたブラックジョークかと思って父の顔を見ると、神妙な顔つきから冗談ではないことはわかった。
しかし、それにしては二人とも落ち着いている。
「旅行に行ってくる」とでも言うくらいのテンションだ。
夫と二人、心配していいのか、笑い飛ばしていいのか悩みながらも詳しく聞いてみると、こうだ。
父の背中に腫瘍が2箇所できていて、それを取る手術である。
悪性という可能性はゼロではないが、まあそれも「万が一」レベルなので、たいして心配はしていないとか。
病院は高槻で入院は1週間、手術は全身麻酔で行う。今、その腫瘍自体に痛みはない。
詳しく聞いてみても、どんなリアクションをとっていいのかわからず、「はぁ~」「まあ、がんばって」という感じで終わった。
今日はその手術日。
朝早くから行われ、昼前には終わるとのこと。
どうしても夕方までに出さないといけない原稿があったので、それを仕上げて、4時頃に私も病院に行った。
鋼鉄の家族、ここに敗れたり。
駅までの道を歩きながら、そんな言葉が浮かぶ。
私の家族は、私を含めてみんな健康で、誰一人として病院に行くどころか、家で寝込んでいる姿すら見たことがなかった。
特に母は「鋼鉄の女」と私が名づけていたくらい丈夫だったのだが、去年、膝の難病にかかった。
一時期はそれで精神的にもやられて一気に老け込み、夏には一度倒れた。
その姿をたまたまシンガポールから一時帰国していた姉が見てしまい、「もうお母さん、あかんって思った」と言うのを聞いたときには、私も焦った。
ただ、さすが鋼鉄の女は違う。
膝の手術をしたらもう一生膝が180度までは伸びなくなることや、3人がかりでの大手術になること、お金もかなりかかることなどを聞くと、急に生気を取り戻したのだ。
「もうあまり痛くない」と言い出し、手術をやめた。
今は薬やリハビリなどでごまかしながら過ごしているが、長距離でなければ歩けるし、園芸店の仕事も週に1回は行っている。
不思議なもので、気持ちが前向きになったらまた見た目も若返り、元通りの母になった。会うと顔がツヤツヤしている。
とは言え、もう正座もできず、いつも椅子や座椅子に腰掛けている姿を見ると、ちょっぴりせつない。
親が年をとるというのは、本当にせつない。ただただせつない。
そして、いよいよ父親もそんなことに。
「病院」「入院」「手術」という言葉に本当に縁がなかったので、それを聞くだけでなんだかたいそうなことのような気がした。
「万が一」とはいえ、悪性だったら嫌だなぁとも思ったし、そういえば、父方の祖父は若くして胃がんで亡くなったんだったなぁと、普段は思い出さないことを思い出したりもした。
なんだか暗い気持ちで病院へ。
手術するような病院って広いんだなぁと、妙なところに感心する。
長い長い廊下を歩いて、聞いていた病室へ向かった。
病室の番号を控えてくるのを忘れて、廊下でおろおろしていたら、看護師さんが案内してくれた。
みんな優しい看護師さんなので、そんなことにホッとした。
病室に入ると、手術を終えて、まだ5時間くらいしか経っていない父がベッドに寝ていた。
その横に付き添いの母。
ウンウン唸っているか、ぐったりしているかと思って覚悟していたのだが、顔を見て拍子抜け。
めっちゃ元気やん!
背中と聞いていたのでうつぶせになっているかと思えば、フツーに仰向けで寝てるし……。
点滴はしていたが、まあそれだけで、顔色もいい。
それでも最初は手術室に運ばれる恐怖や麻酔の不安などを弱弱しく語っていたが、だんだん話がのってくると声も大きくなり、最後には起き上がって座って話していた。
むしろ、前日から付き添いをして、入れ替わり立ち代りやって来る先生や看護師さんとのやりとり、書類の記入、入院の準備などで大忙しだった母のほうがお疲れ気味だった。
帰るときには夕食のハンバーグをおいしそうにムシャムシャと頬張っている父を見て、こりゃ心配いらんな、と思った。
とりあえず、ホッとした。
淋しいからもっといてくれ~と甘えてくる父を、母と二人で冷たく突き放し、二人で病室を出た。
そんなことも、元気だったからこそできるわけで・・・
よかった。
母と近くの「風月」でお好み焼きを食べた。
モダン焼きにするとかなり大きいので、オーダーのときに店員が2回も「小にします?普通のでいいんですか?」と聞いてきた。
母くらいの年齢の人だとたぶん食べられないんだろうな。
「どうする?」と聞くと、「食べる」と母。
実際、大きなモダン焼きを私より早く食べ終わってしまった。
母と二人で外食をすることなどまずないので、なんだか新鮮で楽しかった。
店を出る時、母が財布を出したので、「いいよ!今日はお疲れ様。ここは出しておきます」と言うと「そーお?ありがと」と嬉しそうだった。
モダン焼き2枚と生ビール1杯で2280円。
レジで財布を開いたら、お札が2枚しかない。慌てて小銭入れを開けたら、なんとか300円はあった。
あぶない、あぶない。
2300円も財布に入っていないと母に知られたら、また心配される。そして、お小言が始まる
セーフ。
空っぽの財布の四十女を娘にもって、この人も可哀相だなぁ、なんて、駅のホームで母の横に座りながら思う。
こういうとき、いつも自分が情けない。
まだ何も親孝行してないなぁ。
父は75歳、母は68歳。随分年をとった。
同年代の友達の親も毎年誰かが亡くなって、喪中のハガキで知るようになった。
そういう年代なんだなと実感する。
ずっと鋼鉄の家族でいられるような気がしていたが、そんなわけにもいかない歳だ。
それでも、今年もとりあえずは元気で新年を迎えられたことに感謝しなければならない。本当に。
帰りの電車で、夫が父の事を随分と心配していたこと、普段、人の話も聞かずに自分の薀蓄ばかり語る父のことを決して悪く言わず、「お父さん、すごい知識やなぁ、すごいなぁ、勉強になるわ」と言ってくれること、私が父の文句を言うと怒られることなどを母に話した。
すると、母がこう言った。
「かおりが優しい人と結婚してくれて、本当によかった。つくづく思うの。それが、本当によかったって」
そうか~?と、なんでもないように答えながら、ちょっと泣きそうだった。
就職はしない、すぐに家を飛び出して顔も見せない、酒に溺れる、貯金はない、結婚はしない……
心配ばかりかけたけれど、1つくらいは親孝行できたのかもしれない。
とにかく私はもっと自分のことを頑張ろう、と思った。
いい仕事をたくさんして、もう心配かけないように。
今年、まだ10日も経っていないけれど、今のところは毎日いい感じで頑張って過ごせている。
父のことが気にかかっていたが、それも安心できたし、今年はどんな一年になるのかなと改めてワクワクしてきた。
母が突然、「お父さんが来週、入院して手術するから」と言った。
新年の気の利いたブラックジョークかと思って父の顔を見ると、神妙な顔つきから冗談ではないことはわかった。
しかし、それにしては二人とも落ち着いている。
「旅行に行ってくる」とでも言うくらいのテンションだ。
夫と二人、心配していいのか、笑い飛ばしていいのか悩みながらも詳しく聞いてみると、こうだ。
父の背中に腫瘍が2箇所できていて、それを取る手術である。
悪性という可能性はゼロではないが、まあそれも「万が一」レベルなので、たいして心配はしていないとか。
病院は高槻で入院は1週間、手術は全身麻酔で行う。今、その腫瘍自体に痛みはない。
詳しく聞いてみても、どんなリアクションをとっていいのかわからず、「はぁ~」「まあ、がんばって」という感じで終わった。
今日はその手術日。
朝早くから行われ、昼前には終わるとのこと。
どうしても夕方までに出さないといけない原稿があったので、それを仕上げて、4時頃に私も病院に行った。
鋼鉄の家族、ここに敗れたり。
駅までの道を歩きながら、そんな言葉が浮かぶ。
私の家族は、私を含めてみんな健康で、誰一人として病院に行くどころか、家で寝込んでいる姿すら見たことがなかった。
特に母は「鋼鉄の女」と私が名づけていたくらい丈夫だったのだが、去年、膝の難病にかかった。
一時期はそれで精神的にもやられて一気に老け込み、夏には一度倒れた。
その姿をたまたまシンガポールから一時帰国していた姉が見てしまい、「もうお母さん、あかんって思った」と言うのを聞いたときには、私も焦った。
ただ、さすが鋼鉄の女は違う。
膝の手術をしたらもう一生膝が180度までは伸びなくなることや、3人がかりでの大手術になること、お金もかなりかかることなどを聞くと、急に生気を取り戻したのだ。
「もうあまり痛くない」と言い出し、手術をやめた。
今は薬やリハビリなどでごまかしながら過ごしているが、長距離でなければ歩けるし、園芸店の仕事も週に1回は行っている。
不思議なもので、気持ちが前向きになったらまた見た目も若返り、元通りの母になった。会うと顔がツヤツヤしている。
とは言え、もう正座もできず、いつも椅子や座椅子に腰掛けている姿を見ると、ちょっぴりせつない。
親が年をとるというのは、本当にせつない。ただただせつない。
そして、いよいよ父親もそんなことに。
「病院」「入院」「手術」という言葉に本当に縁がなかったので、それを聞くだけでなんだかたいそうなことのような気がした。
「万が一」とはいえ、悪性だったら嫌だなぁとも思ったし、そういえば、父方の祖父は若くして胃がんで亡くなったんだったなぁと、普段は思い出さないことを思い出したりもした。
なんだか暗い気持ちで病院へ。
手術するような病院って広いんだなぁと、妙なところに感心する。
長い長い廊下を歩いて、聞いていた病室へ向かった。
病室の番号を控えてくるのを忘れて、廊下でおろおろしていたら、看護師さんが案内してくれた。
みんな優しい看護師さんなので、そんなことにホッとした。
病室に入ると、手術を終えて、まだ5時間くらいしか経っていない父がベッドに寝ていた。
その横に付き添いの母。
ウンウン唸っているか、ぐったりしているかと思って覚悟していたのだが、顔を見て拍子抜け。
めっちゃ元気やん!
背中と聞いていたのでうつぶせになっているかと思えば、フツーに仰向けで寝てるし……。
点滴はしていたが、まあそれだけで、顔色もいい。
それでも最初は手術室に運ばれる恐怖や麻酔の不安などを弱弱しく語っていたが、だんだん話がのってくると声も大きくなり、最後には起き上がって座って話していた。
むしろ、前日から付き添いをして、入れ替わり立ち代りやって来る先生や看護師さんとのやりとり、書類の記入、入院の準備などで大忙しだった母のほうがお疲れ気味だった。
帰るときには夕食のハンバーグをおいしそうにムシャムシャと頬張っている父を見て、こりゃ心配いらんな、と思った。
とりあえず、ホッとした。
淋しいからもっといてくれ~と甘えてくる父を、母と二人で冷たく突き放し、二人で病室を出た。
そんなことも、元気だったからこそできるわけで・・・
よかった。
母と近くの「風月」でお好み焼きを食べた。
モダン焼きにするとかなり大きいので、オーダーのときに店員が2回も「小にします?普通のでいいんですか?」と聞いてきた。
母くらいの年齢の人だとたぶん食べられないんだろうな。
「どうする?」と聞くと、「食べる」と母。
実際、大きなモダン焼きを私より早く食べ終わってしまった。
母と二人で外食をすることなどまずないので、なんだか新鮮で楽しかった。
店を出る時、母が財布を出したので、「いいよ!今日はお疲れ様。ここは出しておきます」と言うと「そーお?ありがと」と嬉しそうだった。
モダン焼き2枚と生ビール1杯で2280円。
レジで財布を開いたら、お札が2枚しかない。慌てて小銭入れを開けたら、なんとか300円はあった。
あぶない、あぶない。
2300円も財布に入っていないと母に知られたら、また心配される。そして、お小言が始まる
セーフ。
空っぽの財布の四十女を娘にもって、この人も可哀相だなぁ、なんて、駅のホームで母の横に座りながら思う。
こういうとき、いつも自分が情けない。
まだ何も親孝行してないなぁ。
父は75歳、母は68歳。随分年をとった。
同年代の友達の親も毎年誰かが亡くなって、喪中のハガキで知るようになった。
そういう年代なんだなと実感する。
ずっと鋼鉄の家族でいられるような気がしていたが、そんなわけにもいかない歳だ。
それでも、今年もとりあえずは元気で新年を迎えられたことに感謝しなければならない。本当に。
帰りの電車で、夫が父の事を随分と心配していたこと、普段、人の話も聞かずに自分の薀蓄ばかり語る父のことを決して悪く言わず、「お父さん、すごい知識やなぁ、すごいなぁ、勉強になるわ」と言ってくれること、私が父の文句を言うと怒られることなどを母に話した。
すると、母がこう言った。
「かおりが優しい人と結婚してくれて、本当によかった。つくづく思うの。それが、本当によかったって」
そうか~?と、なんでもないように答えながら、ちょっと泣きそうだった。
就職はしない、すぐに家を飛び出して顔も見せない、酒に溺れる、貯金はない、結婚はしない……
心配ばかりかけたけれど、1つくらいは親孝行できたのかもしれない。
とにかく私はもっと自分のことを頑張ろう、と思った。
いい仕事をたくさんして、もう心配かけないように。
今年、まだ10日も経っていないけれど、今のところは毎日いい感じで頑張って過ごせている。
父のことが気にかかっていたが、それも安心できたし、今年はどんな一年になるのかなと改めてワクワクしてきた。