珈琲一杯分の話

2018年2月26日スタートのただのボヤキカフェです。
毒とユーモアを楽しんで頂ければ幸いでございます。

学校事情5

2018-09-22 | 娘と夫の話
娘の部活動は屋外スポーツのため、天候によって左右される。
そのため、朝練や休日の活動は、顧問からその都度、実施か中止かの連絡がメールで入る。
メールは保護者の携帯に来るが、それを待つ子どもたちのラインが何ともかしましい。

とにかく絶え間なくピコピコ鳴るスマホに、何言い合ってるの?と訊いたら
「ねえ、今日あるかな?」「あるんじゃない?」「連絡遅いよね」「それな」「私もう着替えちゃった」「ウチも」…
みたいな感じと、あきらめたような感じで娘が言う。
「しゃべる子はだいたい決まっていて、めんどくさい子はウルサイなあと放とくよ。そんなこといちいちなんで打つのか私にはわからないし」

その時、私の携帯に中止ですの連絡が入った。
娘は笑って
「またドッとくるよ。ほら一気に5件(笑)」
「ほんとだ。これが、いつも繋がっていたいってやつ???」

私には全くもってミステリーな世界だが、それがやりたいんだろうなあ。

でも安心したのは「やらないからって苛められたりしないよ」

娘の話を聞く限り、今の子の方が「多様性を理解する」ことに関しては進んでいる気がする。
意識しなくても、そういうものと体得しているように見える。

確かに、「皆一緒に」と習った昭和の子どもと、人それぞれと教わる今では違って当然かなあと。

私の世代はネットにくるとすぐ喧嘩になる。
「人それぞれだしね」と気に触らない感覚を、わざわざ力説し合わねばならない厄介な世代なのかもしれない。
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少数意見??

2018-09-22 | 日記
結婚して間もない頃、すき焼きにしようと肉を買ってきたら、「特売」と書かれたシールがパックに貼られているのを見て、夫が文句を言った。
「値段じゃなくて、せっかくだからいい肉を買ってこいよ」
私は反発した。
「あなたはそういう育ち方をしたかもしれないけど、家計ってものがあるでしょ」

夫の母親は父親が健在だった頃、スーパーなど殆ど行かなかった。
肉なら「いつものお肉屋さん」に自宅から電話をする。
「××宅でございますが、今日は何百グラムお願いします」
やがて勝手口からお肉屋さんが現れて、その日の一番いい肉を届けてくれる。
義母は「ごくろうさまです」と受け取って、サインして終わり。
「高い」とか「いくら」とかはそんなに考えてなかったんじゃないだろうか。

そういう家庭で育った人とこれからうまくやっていけるんだろうか?と心配になったが、全然大丈夫。
人には環境適応能力という自由自在な力があった。


以前の職場で、私より10歳くらい若い、一人暮らしをしている男の子と話していた時。
当時彼は20代だったと思う。
イマドキの男の子は家庭的なのか、不景気しか知らないのか金銭感覚がセコイのか、
「アタック(洗濯洗剤)の底値を知っている」
と、主婦の私より主婦らしいことを言った。

決して高くない給料に生活が大変なのはわかるけど、何の話をしていても万事が安い=嬉しくてはしゃぐ話ばかりに、つまらないものを感じた。

「特売」のシールが気に入らないと怒った男と、洗剤の底値を知っていると得意そうに言った男。

前者のような人と結婚して、実際は贅沢も浪費もしているわけじゃないけど、私はよかったと思っている。
セコイ男は好きじゃない。
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叩き方講座2

2018-09-22 | ちゃんねる攻防
「ネットの誹謗、中傷はよくない」という人は、正しくは「自分もしくは自分のシンパやお仲間に宛てに限り」誹謗、中傷はよくないと言っているのである。

実際、他は知ったことではないので24時間365日、ひっきりなしに繰り返されているそれらには涼しい顔をしている。
よほど「社会悪」と言われてるほどの問題だけれど、何も感じないか、むしろ相手によっては「楽しいな、もっとやって」と思っている。

自分に向かって「アンタ」と言われれば、何事ですか?とびっくりするほど激昂するが、自分のお仲間が「オマエ」と言ってもそれは全然構わない。
そんなもんである。

自分の勘に触る文章は「あいつの仕業」にしか見えず、お仲間の書き込みは「どこかの無関係な誰か」にしか見えない。
どんな暴言を吐いた人間でさえ、自分のお仲間は人の悪口をいう人なんかいないと平然と言ってのける。
非常にわかりやすくそうである。

「汚い言葉はいけない」も同様で、敵視する人間には敏感だけど、シンパがいうとお茶目でユーモラスに思える。

これらにまさか気づかず、叩いている人はいないと信じたいが。
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閑話休題 異邦人 EGO-WRAPPIN'

2018-09-21 | 閑話休題
異邦人 EGO-WRAPPIN'



エゴラッピン、このバンド知ってますか?
最近よく聴いてるんですが、異邦人のカバーではいちばんいいですね。
スカ好きには「くちばしにチェリー」という曲もお勧め。
 2002年にオリコン9位だったんですね。知らなかったー。





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料理の話

2018-09-20 | 日記
世の奥さんは皆、料理をする。
これは錯覚である。
世の奥さんは皆、料理が大好き。
これになると、もはや幻想と思う。

実は「しない奥さん」「ほぼほぼしない奥さん」「相当手抜きの奥さん」というのは結構いる。
表立って言わないだけである。
夫の浮気の修羅場の如く、それは秘め事にされているだけで。
 

ブログなどで、手料理を見せびらかす主婦がアクセスを稼ぐのは、同じくらい「しない派」「とてもできない派」の人が羨望をもって見ているからと思う。

子どもが幼稚園くらいまで、近所に住んでいたママ友もそうだった。
どう見ても、おしとやかで家庭的に見えた彼女が、ある日私に
「私、おでんってコンビニで買ってくるものと思っていたけど、どう作るの?」
と聞いてきた時、ああこの人もかと思った。
「あんなの、適当な具剤をなべにぶっこんで、これとこれを入れれば勝手にできるわよ」

私は、彼女の「見栄をはる」という余計なプライドをもっていない、少女のような素直さが大好きだった。
「お昼食べていってよ」と言われて一緒にカップラーメンをすすったり、一度だけ茹でたパスタにレトルトのソースをかけたものをご馳走になった時は、まだ麺に芯が残っていたのも楽しい思い出である。

ある時ママ友が、主人のお母さんが泊まりに来るとパニックになっていたので、二人で作戦を練った。
お姑さんは、以前
「ヨシコさん(匿名)、おにぎりは作るもので買ってくるものではないのよ」
とやさしく諭した、ごくごく常識的な人である。

「朝はバターロールにハムと目玉焼きでなんとかなるとして、問題は夜。
サバ缶かシャケ缶あるでしょ。あれに大根おろしをかけて、ネギを散らすの。それだけで案外年寄りは喜ぶ。
いい?何かあったらネギかゴマをかける。これが意外に料理してますみたいなポイントねん。
それからサラスパ。
たっぷりのレタスときゅうりとトマトと、あればツナ缶かカニカマでもいれて大皿(これがポイント)に持ったらなぜかご馳走風に見えるから」

彼女はその通り実践して、「まあこんな食べ方があるのね。美味しいわ」と感嘆されたと言っていた。(実話)

でもこの奥さん、有名付属名門校で教師を勤める旦那様に、毎日お弁当を持たせているそうである。
「何詰めてるの?」と訊いたら、宅配業者の冷凍フライをチンしてると言っていた。

ご主人は車が好きで、いつも自慢のピカピカの高級車に乗っておられた。
休日にそんな車で家族でお出かけする様子を傍から見て「いいなあ」「幸せそう」に見えても、他人のことなど、実際はわからないものである。







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娘との会話7

2018-09-19 | 娘と夫の話
娘の中学の、二度目の試験結果が返ってきた。
私が点数を聞いて笑いながら
「なぜそんな結果なのか、説明してみて」
と、私からの試験問題を出してみた。
「政治家みたいな答弁はダメよ。自分の言葉で明解に発言して」

娘いわく
「あのね、国語はもう一回やったら点数とれる。時間が全然足りなかったの。
皆は塾でストップウォッチとか使って、時間内に解く練習とかさせられてるんだよ。
私は家庭教師といつもゆっくり、じっくり考えながら解いてるから」


「理科と社会は、内容に全然興味が持てないの。
いくら読んでも習っても、眠くなるだけで何も頭に入らない。だって終わった話ばかりでしょ。
社会の先生に『ピノコさんは歴史が嫌いでしょ』と言われたから『はい、嫌いです』と素直に言っておいた。」

「でもね、数学も歴史みたいな問題が出たんだよ。

ドイツにウイッドマンって人がいて、その人はマイナスを『不足』と言ったんだけど、プラスを何と言ったかって書けって問題が出た。
あの先生そんなクイズみたいの大好きなんだよ」


答えは『超過』だそうで、で、アンタなんて書いたの?と訊いたら
「『俊足』
 ”そく”って付く熟語って、それしか思い浮かばなかった…」

「……………」

この答弁の点数は35点くらいだろうか。
学校の試験も私の試験も、道は長く険しいのである。
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思い出の扱い方

2018-09-19 | 娘と夫の話
夫と結婚する前、当時「彼氏」だった夫と私、夫の兄とその彼女の4人はしょっちゅう一緒に遊んでいた。
若かった時代、いちばんバカ騒ぎをしていた時代というか(笑)

常時誰かの家に泊まり合ったり、スキーや釣りやボーリングやコンサートに行ったり、食べ歩きに飲み歩き、誰もがまだ「家族」という責任を負っていない頃、軽かったのかもしれないけど、それはそれで楽しかった時代である。

そんなある時義兄の家に行ったら、いつもいたはずの「彼女」ではない、違う女の子が柔らかい笑顔で迎えてくれた。
義兄が、うまく言えないけど「今まで見たことのない顔で」彼女を紹介してくれた。
現在の奥さんである。

ハッとするほど魅力的な人で、私は初対面ながら一瞬で彼女が好きになった。
「モテモテの義兄を本気にさせた人」
それがすぐにわかった。

その彼女が作ったチキンカレーを一口食べて、心底驚いた。
タダモノではない人だなあと思った。
食器棚を開けたら食器が一新されていて、食器好きの私も、そのセンスに感心した。
カラオケで歌を聴いても、言葉使い一つも、書く文字を見ても圧倒されてしまった。

彼女は、初対面の私たち(夫と私)を送る時、「気をつけてね」なんていう通り一辺のことでなくて
「タクシー、掴るといいですね」
と心配そうに、私の目を見つめて言った。
この人はホンモノだな、と思った。

この素敵な奥さんは、後にあらゆる人を本当に幸せに導いたと思う。

そんな一方で、元カノであるが。
これを無視しないのが、夫なのである。
ある映画の撮影の殆どが某地方都市だった時、そこに暫く滞在することになった夫は、現在はそこにいるという「兄貴の元カノ」に連絡をとった。
そして結婚して幸せになっている彼女と20年ぶりくらいに再会して、飲んだそうである。

二人で何を話したのかは詳しくは聞かなかったけど、皆、それれぞれに幸せならいい…
何も切り捨てず、それぞれを大事にする価値観は、学ばねばなるまいと感じた次第である。





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閑話休題(ラザリスさん)森恵 / 粉雪 / レミオロメン / ギター弾き語り(Cover)

2018-09-19 | 閑話休題
森恵 / 粉雪 / レミオロメン / ギター弾き語り(Cover)



そろそろ、冬の歌を練習しようかと思いまして、「悲しみは雪のように」と、この歌を検索していました。
ガクトさんと西川さんのカバーや、女性ボーカルの方がピアノでカバーされたものなど、どれも素晴らしいです。
その中で、アコギでカバーされたこの方のものが特にこころに刺さりました。
この歌は、オリジナルが一番だと思いますが、この方は本当に上手いと思いました。
「1リットルの涙」のドラマは観ていなかったのですが、「粉雪」と「オンリー ヒューマン」は本当にいい歌ですね。
歌詞がダイレクトにこころに響きます。

コードは何とか取れましたが、オリジナルから三度下げて、それでもサビはファルセットでやっと出る感じです。
「こなーゆきー」のサビの部分の高音、「ハイ A」ラの音、プロのボーカリストは、ミドルボイスというものを使って出しているとのことです。
頑張って練習してみます。






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少数意見6

2018-09-18 | S教団関係
私は個人的に「トラウマ」という言葉が好きじゃない。
過去に「宿業」とか「逃れられない」ということを聞かされてうんざりして、そんな目に見えないものに縛られるような窮屈さを感じるからである。
そんなもん「ない」と思えばないで済むのに、なんでそんなめんどくさいことを言うんだろうと。

Sによって誰でも心の傷があるという、マニュアルのようなものも違和感と思う。
「可哀想ね」「大変だったよね」「寄り添いましょう」
それを否定したいのでは決してないのだけれど、

美輪明宏さんの言葉第二段。

カスの相手をしている時間なんて、もったいないでしょ。
「そんな人たちは、私の人生になんの傷も与えられない」と思える強さを身につけることが大切です。 


これを読んだ時、ああ自分の感覚に近いのはこれだと思った。
「そんなチンケなものに、傷なんか感じなかった」

娘が、「カウンセラーってなんですぐ『心の傷、心の傷』ってうるさいの?そんなこと言われる方がうっとうしい」と言っていた。
善意の言葉に逆らうのは心苦しい…でもそんなふうに思う人もいるのである。
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可愛さ余って

2018-09-17 | S教団関係
過剰にアンチブログを褒めたたえて持ち上げる人ほど、過去は強信者だった。
散々入れ込んで覚めてしまった結果、アンチブログの期待と感謝が、また過剰なのである。
それはいいとして、では次にやってくるのはというと、持ち上げすぎたアンチブログをボロクソにけなすことになる。
些細なことが勘にさわって許せなくなる。
嘘じゃない。
このままだと必ずそうなる。
かつての強烈なシンパが、熱心すぎるアンチになったように。
可愛さ余って憎さ100倍。
これは何であれ同じと思う。


それを証拠に、今は教団をけなす以上に、アンチでありながらアンチブログをけなす声が数限りないのをご存じか。
すべては、大騒ぎしすぎて熱くなりすぎた結果のことである。
愛憎はコインの裏表。
好きになりすぎると「無関心」にはなれずに、今度は罵倒が止まらなくなる。

今一度
教団がゴミみたいなもんなら、アンチブログなんてそれほどのもん?


以下、美輪明宏さんの言葉。

「恋しい、恋しい」と、その人に惚れて惚れて惚れ抜いて、あんまり惚れすぎてしまうと、“可愛さ余って憎さが百倍”というようにそれが倍の憎しみになります。だから、なかなかむずかしいことだけれど、なるべく努力して理性の手綱を引き締めて、一〇〇パーセント惚れないようにすることです。
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叩き方講座

2018-09-15 | S教団関係
私は以前、極が付くアンチブログを書いていたので、批判記事のいやらしい書き方を知っている。

基本はものは言いようと袈裟である。
例えば「××にどのくらいお金と時間を使ったか?」と訴えたい時は、「使った」ではなく奪われたとかカモられたと書く。
このように単語一つにも、神経を逆なでするように工夫が必要である。
そっと置手紙をされた程度のことは、張り付いたとかストーカー行為、ゾンビのようだと犯罪者かオカルトのように演出する。
時には情に訴えたり、ユーモラスにしたり、読み手を引きこませるように、かつリアリティを感じさせるように「やや」ドラマチックに書くのがよい。

それから自分の都合のいいように書き換えられる過去の記憶は、さかのぼるだけさかのぼって、広大な範囲で拾うべし。
記憶違いなんてゴミみたいことである。

殺し文句は何といっても信者と教祖とマンセー。
これは何も宗教団体に限らず、それをよく思わないアンチはもちろん、何相手にでも使える。
「仲良し」も「穏やか」も「平和」も「同意」も、最終的に気持ち悪い信者と教祖の一言でねじ伏せることができる。
他にも、MCとか思考停止とか、幾つかの印籠はあるが、紋切り型とかワンパターンというのは意外に好まれるのである。
個人的には、飽き飽きで欠伸がでるが。

信者ではなくてあくまで「ただのファン」と見られるためには、タイガースファンのように、時々外野から汚いヤジを飛ばすとよいとされる。
私は頷く一方ではなく、おかしいことはおかしいと言いますよ、と。
でも、そうなったら憎し、支離滅裂、ブレてる、揉めたとか叩きのめすキーワードはいくらでも用意されている。
このように批判なんて、どこからでもどうやっても起こせるのである。

「ものは言いよう」と「大袈裟」
これを武器に、叩きたい人は今日もがんばろう!!
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学校事情4

2018-09-15 | 娘と夫の話
中学の校長が、4月のPTAの挨拶で言っておられた。
「今の子はスマホから24時間、友達を背負っています。
私たちの時代は学校から帰ったら、友達とは一旦離れて一人になれた。
でも今の子はそのまま持ち帰るんです。そういうストレスも一緒に」
 

ふうん、そんなもんなのか。
スマホだのラインだのに一線を置いている私には、確かに娘の行動が奇妙に思える時がある。

「わー、気がついたら60件も来てるー」
「何なんそれ?そんなに友達いないでしょ?」
「ううん、グループだから私宛ってわけじゃないよ」
「一体何話してるの?」
「今日部活ないんだー、私筋肉痛、それな~、りょ、ワラワラ、スタンプだけとか…」
私にはよくわからん世界である。
面倒くさくないの?と聞いたら、テキトーにスルーして、しゃべる子決まってるし…と軽くやっているようである。

トイレにまでくっついていく友達がいる方が、もっとややこしいかも。
今の子、今の子っていうけど、そんなたいしたことやってないように見えるけどね。

逆に、ああこれは便利と思ったのは、部活で使うバッグを買った時。
色が被らないようにラインに写真を載せ合って、欲しいメーカーと色を探して購入した。
「この色、一年生では誰も持ってない。ありがとう!!」と久しぶりに娘の機嫌のいい顔を見て、よし、プレビューでも書いたろうかなと、私も中学生みたいにウキウキした次第である。
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仕事の話2

2018-09-15 | 仕事の話
物騒な事件が起こって犯人が捕まる度、たいていが「無職」とか自称ナンタラで、実際はろくに働いていないということがよくある。
仕事って、お金を稼ぐ以上のものがあるのだと思う。

別にお金を稼ぐ=仕事とも思わないが、要するに、健康な心身を持ちながらすることなくて遊んでいるのは精神衛生上よろしくない。
これはたいした人生経験もない上での、強い実感である。

私の義母はいわゆる専業主婦だったけど、夫が健在の多くの来客や付き合いのあった頃の話を聞くと、そのきめ細かい対処や気遣いや苦労に驚くことばかりだった。
それをアピールするような人では決してないけど、だらしない恰好で考えのない言葉使い、なんてことは家族の品位を下げるという意識があったんだと思う。

真剣に働いている人は美しい。

道を歩いていても、車が走っていても、ああ今日も誰かが働いている。それが誰かの役に立って、誰かの生活が支えられていると思うとうれしくなる。

働かなくてもいいのが幸せなのではなくて、健康で働けることが幸せと思う私は、ただの貧乏性なのか昭和な女なのかもしれないが。






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嘘つきの見分け方

2018-09-14 | 思うこと
例えばネットに「死ねーーー!!」と書く人、書いたことのある人は、本気で言ってるわけではない。

思春期の子が死ぬ気もないのに、「死にたい」と言って気を引くようなことと同じメンタリティである。
死ぬ気なんかないし、本当に殺したいわけじゃない。
つい感傷に溺れて、嘘を口ばしってしまうだけ。
絶対に安全だとわかって、ホラを吹いているのである。


こういうタイプが、いちばんわかりやすい嘘つきと思う。
正直な人は、感情に左右されず、話を捻じ曲げたり想像や願望を入れないと思う。
ありのままを受け入れる理性を、失わないからである。

ところで
人に「死ね」と口走ることと、人から「死ね」と言われることのダメージが、同人物に全く同じ認識を受ける
ことをご存知だろうか。

人間の脳は、この「主語の判別」ができないように造られているそうである。

まあこんなことは、偉い先生の難しい分析なんか聞かなくても感覚のある人はわかるけどね。

私はかなり前から、殆どの判断を「自分が違和感を感じるか否か、心が痛むか痛まないか」で決めている。
だから自分のブログには、毒舌ながら自分の心が痛むことは書いていない。

ありのままではなく、感情に溺れた悪口を書くと苦しい。
それを「見られている」ことをお忘れなく。
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英語の話

2018-09-13 | 日記
高校2年の、初めてのリーダーの授業の日のことである。
初日から教科書を忘れた私は、慌てて隣のクラスの子から教科書を借りてきた。

その先生は今までに見たことないタイプの怖い先生で、鋭い瞳と口調の下、ダラダラとした挨拶などすっ飛ばして、当たり前のように即、教科書に入った。
内容は人類初の気球を飛ばした、フランスのモンゴルフィエ兄弟の話だった。
とにかく次々と当てる。
有無を言わせない雰囲気に、皆驚いてクラスに緊張が走った。

先生はまず、当てた生徒に教科書のワンセンテンスを読ませる。
一ヵ所でも読めなかったり間違えたら、もうワンセンテンスを読ませる。そこで間違えたらまた追加。
そんなふうにしてようやく間違えずに全部読めたら、読んだところを全部訳させる。


「英語は予習してきて当然」
先生は、まずそれを教えたのである。

訳はわからないと、すぐ後ろの子を当てる。
わからないと、またその後ろの子を当てる。
そんなふうに私も当てられたが、私の「借りてきた教科書」には、一足早くその授業を受けた子によって、教科書に答えがしっかり書き込まれてあった。
私がそれを見ながらすまして答えたら、クラスから一斉に尊敬の眼差しが入った。

このふざけた経験が、それまで特に熱心でなかった英語を好きにさせたのである。

私は先生のてきぱきとした無駄のない語り口と、生徒に媚びを売らず、だらけた生徒も容赦なく引きこむ姿勢に惚れ惚れした。
私はその日から、当てられても間違えないように、英文を声に出して読むことを始めた。
つかえずに読めると本当に楽しかった。
それまで、別に興味がなかった英語が俄然おもしろくなったのである。

授業は毎日が刺激的でしょうがなかった。
うまく読めない子が次々と文章を増やされて、しまいに教科書まるまる1ページ訳すハメになると、クラスで爆笑が起こった。
厳しいのに、なぜが授業は笑いに包まれるのである。
先生はどうしたら生徒が集中できるか、考えているんだなあと思った。

その先生の作ったテストがまた面白かった。
チャップリンの話が教材の時は、「チャップリンが作った他の映画を幾つか挙げよ」という問題が「英語の試験」に出た。
広島の原爆の話の時は、爆弾の種類が「プルトニウム爆弾」か「ウラン爆弾」か書けという問題が出た。
どれも先生が、授業中に口走ったことである。
授業をちゃんと聞いているかを問うていたのであるが、私は本来こんな無駄話こそ好きだったので、メモを取らずとも頭に入っていた。

大学へ行けなかった私は、英語はずっと勉強したくて、無一文で上京した時も、カバンの中に高校の教科書をしのばせていた。
だけど右も左もわからない都会で働いて、クタクタになって帰宅して食べるものもない生活の中で、教科書を開く元気などとてもなかった。

到り尽せりの環境の中で「学べる」
これを当たり前と思っている人がいたら、今一度考えてほしいと思う。


そんなこんなで英語は挫折してしまったけれど、懐かしい思い出だなあと、K先生の授業を時々思い出すことがある。
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